2004年 2月 16日 (月)        

■ タイ語版「武士道」も 先人記念館で新収蔵展

 盛岡市本宮の市先人記念館で2003年に収集した資料を紹介する新収蔵資料展が開かれている。収蔵した中では特に教育者冨田小一郎の遺族から関係資料がまとまって寄贈され、今展でも多く紹介されている。新収蔵のうち展示されているのは約60点。新渡戸稲造の「武士道」のタイ語版など貴重な資料が見られる。3月28日まで。

新渡戸稲造著「武士道」の仏語版とタイ語版(左から)
【写真】新渡戸稲造著「武士道」の仏語版とタイ語版(左から)

 新渡戸の「武士道〜日本の魂」は1935年8月刊。サテイアン・パンタランシーという人が翻訳した。「武士道」は各国語に翻訳されており、今回は仏語訳の本も紹介されている。

 冨田の資料では商船学校の3級、4級の合格証書、入校許可証、教師だった盛岡中学のストライキのあおりを受け、青森県第2中学(現八戸高校)への勤務を命じられた辞令もある。

 冨田は盛中教師時代、奥田松五郎から柔道を習っていた。柔道(柔術)に使われたであろう「人体急所図」には冨田と松田の印が押されている。盛中出身の米内光政と二人で銅像除幕の折に収まった写真もある。

 宮沢賢治の写っている「盛岡中学校明治45年卒業送別記念」の集合写真は全集にも紹介されているが貴重な写真。3年生の賢治が4段目右から5人目に写っている。

 田丸卓郎が発明したという(特許出願)万年暦は洋風の絵柄で、表面の中心より少し下寄りに窓枠のような中にひと月のカレンダーが収められるようになっている。自由に曜日などを変えられる。1906年9月の刊という。

 南部紫紺染を再興させた藤田謙の染め布を使った紫紺染椅子(いす)と紫紺染衝立(ついたて)は糸治の中村治兵衛の遺族から市に寄贈された。衝立は中村邸の玄関に置かれていたという。盛岡銀行頭取も務めた中村治兵衛は南部紫紺染研究所の開設、運営に資金援助した。 


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