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「ジャックと豆の木」は少年少女に人気のあるイギリスの昔話である。そのあらましは次の通りである。
貧しい未亡人の子供のジャックは、ある日、乳を出さなくなった雌ウシを売りに町へ遣わされる。ジャックは雌ウシを一握りの豆と取り替える。雌ウシを肉屋に渡し、家に戻ると母親は怒り、ジャックをたたく。ジャックは夕食を抜きで寝床へ追いやられる。母親が窓から捨てた豆は、一晩のうちに、天まで届く大きな木に伸びる。その豆の木にジャックは登っていく。すると、不思議な天上国に達する。
そこで、ジャックは妖精から、父親を殺した巨人(人食い鬼)の城に行けと教えられる。ジャックは巨人の城から魔法の品々を盗む。黄金の卵を産む赤いめんどり、自分から鳴り出すたて琴、ダイヤモンド入りの袋がそれである。しかし、巨人が気付いて後を追い掛け、豆の木を伝って降りてくる。ジャックは、母親に斧(おの)で豆の木を切ってくれと頼む。母親は巨人を見ると、立ちすくんでしまう。そこでジャックは地上に降りつくなり斧で豆の木を切り倒す。巨人は豆の木から落ちて死んでしまう。ジャックと母親は安楽に暮らす。
「ジャックと豆の木」の本の中には、元の形を変えているものがある。ジャックが巨人の城から魔法の品々を盗むくだりを、教育的配慮上、奪い返す形に改めるのはその一例である。
巨人の城と魔法の品々はもともとジャックの父親のものであり、巨人がジャックの父親を殺して奪い取ったとするものである。奪い取られたものを奪い返すのであれば、それは盗みではなく、正当な報復行為ということになる。このような教訓物語に仕立てる行為は果たして妥当なのであろうか。
ジャックの母親は、当初、雌ウシをジャックに売らせようとした。それで、お金を作らせようとしたのである。その期待をジャックは裏切った。そのため、母親に息子への憎悪が引き起こされる。
ところで、ジャックはあたかも豆の木のごとく急成長を遂げている。母親に命令されることもない、全く自らの判断で豆の木を登っていく。
そうして命懸けで魔法の品々を入手している。話の最後で、母親が巨人の姿にすくんで斧を使えない場面が登場する。けれども、ジャックは、その斧で豆の木を切り倒すのである。
そのことは、ジャックがもはや魔法の力によらなくても、解決できる水準に達したことを意味しているのではあるまいか。
ジャックが成長し、如上の発達段階に達すれば、他者のものを盗み出す行為も姿を消すことになる。
「教育上の配慮」とか道徳論で昔話を論議することが全く正しいかのごとくみられがちである。けれども、昔話の善悪や正否は、旧来の世間体や不安定な常識論にとらわれてはならない。本来の昔話に含まれている心理学的意味を改作改変によって奪い去っては本末転倒と称すべきであろう。
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