2004年 5月 7日 (金)       

■ リーフレット「岩手公園ものがたり」 開園100年へ桜山神社が作成

 盛岡市内丸の櫻山神社(坂本広行宮司)は2006年の開園100年に向けて「岩手公園ものがたり」と題するリーフレットを1万部作製した。岩手公園は盛岡城跡であり、公園化される前からの歴史物語に関心を向けてほしいとの思いが込められている。公園とともに、没後100年を来年迎える南部家第42代当主利祥(としなが)にもスポットを当てた内容。希望者に同神社で無料配布している。

櫻山神社が作製、発行した「岩手公園ものがたり」
【写真】櫻山神社が作製、発行した「岩手公園ものがたり」

 リーフレットは広げるとA3判(両面印刷)の大きさ。城郭を研究している神山仁さんが文章を書き、貴重な古い写真と図をふんだんに使った。

 岩手公園に関しては明治になって盛岡城が終わりを告げるところから、軍用地となり天守櫓(やぐら)ほか建造物が撤去され、荒城となっていったこと、1890(明治23)年に南部家に払い下げられ、1906年に公園造営が始まり開園、1937年に国史跡に指定されるまでの歴史を紹介している。

 櫻山神社は1749(寛延2)年の創始。江戸時代、同神社は櫻山御宮と呼ばれ、城内の淡路丸に鎮座していた。1871年、櫻山大明神のご神体は加賀野妙泉寺山へ仮遷座されるなどを経て1899年、盛岡城跡に遷座された。

 写真は天守櫓をとらえた唯一の現存写真といわれる1873年のもの、明治時代中期の三ノ丸不明門跡、同期の二ノ丸西側石垣、明治時代の岩手公園を掲載。図は「旧城趾櫻山神社御遷座建築之図」と開園当時の「岩手公園全図」が載る。

 前者の図は同神社が所蔵するA3判ほどの大きさの版から印刷した。明治期の同神社から本丸方面を望む鳥観図で、作製に当たって彩色して掲載した。公園北側の堀が埋められる前の同神社の敷地や建物配置が分かるもので、桜の多さが伝わる。坂本宮司によると、「何のために作って、だれに配布したのか分からなく印刷物もない」という。今回、眠っていた版を活用し、彩色して分かりやすくして掲載した。

 大きく紙面を割いているのは「南部中尉ものがたり」。現公園には本丸のほぼ中央に銅像台座が据えられている。1944年4月、金属特別回収された銅像は利祥公の騎馬像だった。利祥公は日露戦争に出兵し、1905年3月、24歳の若さで戦死した。戦死に至る経緯、素顔、銅像建立のことを紹介している。

 坂本宮司は「岩手公園になっているが、櫻山神社は盛岡城跡にあり、盛岡城跡としての歴史を多くの人に考えてもらいたかった。岩手公園の名称を盛岡城趾公園などに変えたいという願いもあって作った」と話す。「4、5年前に作製のため歴史を調べ始めたら、もうすぐ開園100年と分かり、南部中尉の没後100年が2005年と気付き」掲載内容を決めた。

 坂本宮司は「以前作った散策マップと一緒に手に散策して盛岡城から岩手公園、現在という歴史を考えてほしい」と願う。

 リーフレットの問い合わせは同神社(電話019−622−2061)へ。


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