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【写真】復刻本の「でたらめ」
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原敬が大阪毎日新聞社長時代に新聞連載した企画記事をまとめ1899(明治32年)年に出版された本「でたらめ」が盛岡市本宮の原敬記念館によって復刻された。原は、でたらめ記者のペンネームで、外国人や文化と交流が盛んになる中で道徳や作法などをテーマにコラムのような記事を書いていた。2005年2月で生誕150年となることから、同館が記念事業の一つとして復刻した。木村幸治館長は「今の世の中に通じる内容があり、読んで社会を考えてもらいたい」と話す。同館で販売している。
原は1897年9月16日、編集総理の役職で大阪毎日新聞社に迎えられた。大阪財閥で同社出資者の中心、藤田伝三郎、日銀大阪支店長片岡直輝、北浜銀行頭取岩下清周らの勧誘があったという。陸奥宗光の進言「新聞記者から国会議員へ」を実現する道筋を描いていた。
入社とともに社説などにも記事を書いていた原は98年9月27日、社長に就任。同11月25日から99年5月3日まで、でたらめ記者の名で礼法談義の「でたらめ」を連載した。
「でたらめ」は平易な文章と軟らかな話題で、原が入社以来唱えてきた新聞の大衆化を進めて国民の教育、文化を向上させるため平易な表記や簡素な文体、仮名遣いの改良、漢字制限などが本稿で実践された。
連載開始に先立つ98年10月、「緒言」で原は「新条約は遠からず実施せらるべく、内地雑居も同時に行はるゝことゝなりたれば、一から十まで欧米に真似するにも及ばずと言う人もあらんが、去りとて頑固に旧慣を維持せんとの論には何人も同意せざるべし、依って吾輩は斯(か)くもありたらんには如何(いかが)と思はるゝままを記して、甚だでたらめながら斯(あえ)て世人の教えを請う」(原文の旧字体を変更、以下同じ)と趣旨を書いている。
どんな記事だったかを紹介してみると「警察官」という記事は、「日本の警察は大変能(よ)く行届くと言う評判である」と書き始める。「一方から見れば日本の警察官程潔白のものはない」と続き警察官をほめている。警察官だけでなく、当時の日本人一般が武士風の気風を受けていると分析。しかし、将来は環境が変化すると心得ておかなければならないと原は論を展開する。
警察官は「通例の人間」に対して威張った傾向があるという。一方で外国人に対しては「無闇矢鱈(むやみやたら)に丁寧」なのと「昔の勤王家が夷狄(いてき)でも見るが如き体裁」なのと極端だと映っていた。原が提起するのは外国人の入国が増えてくる事情から「警察官は外国語を知らねばならぬのであろう」ということ。尋問するにも助けを請われても職務上必要なのだという。
今日、当時に比べようもないほど外国人が日本に来たり暮らしている。原が現代の人間だったら同じようなことを書きそうだ。
「お役の代人」という記事では原の憤慨が表れている。「客の代人と言うことは何(どん)な事か」として、これが分かるのは世界各国中「大阪を除いてあるまい」という。「客を招くは何の某(なにがし)を招くのである、然(しか)るに何の某は来らずして、思ひもよらぬ代人が来る」と、読めば正論と思えることを書いているのだが、「客の代人と言うことは前代未聞世界各国無類飛切(とびきり)の珍聞」とまで筆が進み、原の胸中が想像される。「記者も大阪市民の一人として、穴があらば這入(はい)りほど恥入る次第」だという。
原は宴会などのことを指しているのだが、代理というのは大阪どころか今の日本、どこでも会合などに見られる。原の記事には賛否の反響があり、反論に対する回答を再度書いているが、やはり「代人などは止めて貰(もら)いたい」と主張した。
木村館長は国際化が進む日本で「今で言う礼儀作法、道徳について日本人のやり方がおかしいと感じたことを書いた。今に通じる内容があり、現代人にとって新鮮なところもある」と話す。生誕150年を機に復刻したのは、原の世の中を見る目を通じ、現代人に社会を鋭く見る目を養ってほしいためだ。
連載中から評判で、読者から終了前から本にしてほしいとの要望もあった。本は連載終了から3カ月後の8月13日、20銭で発行された。同館は色あせた初版本を基に復刻本を製作。深緋(こきあけ)調の表紙にでたらめと金色で刻印した出版当時の外観に仕上げたという。
復刻本は同館(電話636−1192)で1冊600円で販売している。
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