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「古里に帰るというより自分の世界をつくろうとしている」。現代美術家の新里陽一さん(55)は、主宰する雫石町源太堂の「YELLOW・PLANT・GALLERY」でオープン記念展を1日から開いている。学生時代から活動の拠点としていた東京を離れ3年前に帰郷。コンテンポラリー・アートに独自の世界観と物語性を込めている。古里雫石で6年ぶりの作品展は6月30日まで開かれる。
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【写真】N2スタジオライブ1GALLERYオープン記念展の作品「アイルランドの赤いブナの木」と作者の新里陽一さん
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気難しさや堅苦しさと無縁な人。写実と一線を画す、自身を投影した不定型の作品を生み出す。「岩手山よりも駒ヶ岳という感じの性格なんだよね」。雫石町御明神、春木場で生まれた新里さんは自分を「竜川のメダカ」にたとえる。
盛岡四高卒業後、日本大学芸術学部に進学。発表の場は東京が中心。創作は東京から神奈川へ、最後は三浦半島へ移った。2度の結婚、死別と離婚を経験した。実家脇にアトリエ「N2スタジオ繁殖する静物」を設置し、古里雫石で初の作品展を開いたのは6年前。それから帰郷までに3年、町内で2度目の作品展まで3年が経過した。
「東京は住んでたときはよかったが、だんだんと疲れてきて三浦半島に移った。今度の8月にも行くけど今は東京を歩くと疲れる」。
高校時代はもともと建築関係を目指す理系。高校時代に友人の影響で文学と出合った。日大在学時は学生紛争のさなか。油彩を学んでいたが、先輩やフランスのマルセル・デュシャン、ドイツのヨゼフ・ボイスに刺激された。立体造形、コンテンポラリー・アートの道へ進んだ。
「詩や小説は書かないが文学的な要素がある。作品を物語っぽくしていきたい。だからタイトルは必ず付ける。無題にはしない」。作品群に流れる主題や世界観は連続性がある。
卒業の年の1972年(昭和47年)、二人展「娼(しょう)婦の館」でデビュー。「新里流汎性愛主義がかかわったメタファ(隠喩)の装置」(平井亮一、90年)として「設営」が表現の手段一つ。人より大きな立体やドローイングが新里さんの感性を構成している。
アトリエ兼ギャラリーは100平方メートル、2階建てと同じ高さ6メートルの吹き抜けで倉庫を想像させる。屋根には採光の窓があり、空間が作品を演出する。今回は「触覚」シリーズの立体と「水の呼吸」シリーズの「ヤゴの眼」などドローイングを発表。
「昔は影響を受けたものを自分の表現にしようとするのに集中していた。流れに乗っていきたかった。今は自分にある『感じ』を出せてきている。頭で考えない自分の『感じ』が」。原体験がテーマにある。
「ドローイングなどを少し作っていたが、納得いかなくて」。帰ってきてしばらく充電が続いた。
「東京で基礎ができ、どこでもやれる感じになってきた。地元でも地方でも。親がいるから、そろそろ帰らなくてはと思ったわけではない。地域貢献のためでもない。自分の世界を作ろうとしている。それをいろいろな場所に発信して、一人でも多くの人に見に来てもらえたら」。
今後は自分以外のための作品発表の場も提供したい。
記念展は小野英治さん(盛岡市)、小野崎拓哉さん(花巻市)との共同展。月曜休廊。時間は午後0時半〜7時まで。入場無料。
場所はJR雫石駅から町立雫石小学校に向かう町道へ入った同校から50メートル先の沿線。駐車場あり。問い合わせは新里さん(電話019−692−0948)まで。
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