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奥羽史談会(吉田義昭会長)の2004年度総会が5月28日、盛岡市内丸の県公会堂で開かれ、岩手近代文庫主宰の浦田敬三さんが記念講演した。
テーマは「森鴎外とみちのく−小説『栗山大膳』を中心として」。黒田家の家臣ながら、黒田騒動で南部家の身柄預かりとなり、盛岡市で他界した大膳。その物語について「北遊記」や「北遊日乗」などの資料から迫った。
鴎外は1914年(大正3年)5月に盛岡市に大膳の墓と碑を訪ね、3カ月という短期間で同小説を脱稿。「北遊記」には当時、墓石はすでにこけに覆われて読めなかったと書かれている。
祖父の代から黒田家に忠誠を誓ってきた栗山家。大膳が首席家老として仕えた11歳下の忠之は、行状が粗暴のため父親に2度も廃嫡されそうになった。2度目のときに大膳が忠之をいさめた文章には「侍を殴ってはならぬ。朝は早起きせよ。客はねんごろにもてなせ」という三つのことが書かれていた。
このままでは幕府から領地を取り上げられ、取りつぶしになるのではないかと恐れた大膳は「忠之が謀反をたくらんでいる」という書状を幕府に送付。忠之は幕府に呼び出され謹慎処分になり、大膳は南部藩に身柄を預けられた。
大膳の元に直参の侍が訪ねて来たとき、処世訓を話したという。城というものは、乱世のときに百姓や町人に良米などを配るための物置。名将は城郭ではなく忠実な臣下を大事にするもの。何かを成し遂げるためには人物を見定めて任用しなければならないことなどを説いた。
大膳が南部藩にやって来た2年後に、同じく同藩に身柄預かりとなった僧の方長老とは親しく行き来した。大膳が62歳で他界したときは、方長老が追悼。この二人の関係についてもっと調べるとより詳細が分かると思うと話した。
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