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郷土が生んだ歌人石川啄木を顕彰する玉山村合併50周年記念の啄木祭が5日、玉山村文化会館で開かれた。鼎(てい)談では劇団文化座代表の女優佐々木愛さん、エッセイストで前深沢紅子野の花美術館長の志賀かう子さん、啄木記念館学芸員の山本玲子さんが妻節子や啄木の両親、子供、古里についてそれぞれの視点で語った。
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【写真】家族や古里から啄木についてアプローチした鼎談。左から佐々木愛さん、志賀かう子さん、山本玲子さん
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佐々木さんは妻節子、啄木を取り巻く女性を一人7役で七変化した経験から論を展開。
「節子は日本の封建時代の最後に生きた母カツと違い、文学仲間として自由恋愛で結婚した。日本の近代女性として突出した生き方で、二人がもっと長生きしていたら啄木を陰で支える女性にはならなかったのでは」「啄木も節子の才能を認めていたし、妨げることはなかったはず」と評した。
山本さんは「考えたことがなかった」と新たなアプローチに目を輝かせた。
志賀さんはこれに対して「啄木はまだ貧しい日本で育った。27、8歳で死んだ啄木はすべて生かし切る運命だったと思う」と主張。「節子が幸せだったのは好きな人に添い遂げられたこと。啄木という大天才の才能を開花させるために遂げられた人生ではなかったか」と提起した。
父一禎については、旧渋民村を追い出されるようになった背景を踏まえながら、周囲の目に反して家族の中で最も啄木の才能を信じ、最も理解していた人物だったとの思いを3人は再確認した。
佐々木さん、志賀さんともに啄木の歌に込められた郷土への思いと伝えられる実態に少なからず抵抗を持っていた時期があったと明かした。
佐々木さんは娘京子との関係から「若いころは否定していたが、啄木の迷い、人間らしさ、芸術家としての純な部分」、志賀さんは「年をへて人生を重ねるうちに興味が募るようになった」とそれぞれ魅力に触れた。
同日は村内外から啄木愛好家らが訪れた。啄木の母校で教べんもとった地元渋民小学校鼓笛隊147人が啄木作詞の校歌「春まだ浅く」などを披露して開幕。鼎談の間には啄木の歌を地元のコーラスすずらんが歌った。
「啄木、その故郷」として米国ニューヨーク在住のギタリスト・シロ・エル・アリエーロさんが自然や郷土への愛を込めた楽曲を、コールすずらんなどと演奏した。
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