2004年 6月 8日 (火)       

■ 〈わが歳時記〉高橋爾郎 「6月」

 早いもので暦はもう6月だ。わが家の庭はいま金鎖(きんくさり)の花が満開だ。フジの花房に似た黄色がまぶしいまで明るくて風に揺れている。垂直の幹から張った枝々に垂れた花房は百ぐらいはあろう。ボタンが終わって、シャクヤクがこれから見ごろとなる。

 ボタンの艶麗さにくらべて、やや小振りでひきしまった典稚なシャクヤクの花が、ぼくは大好きである。わが家では赤みの鮮やかな中紅色と、赤みのごく薄い桜色の2種類である。

 「立てばシャクヤク、座ればぼたん、歩く姿はユリの花」とは美人の形容だが、どちらも開花2、3日の美しさは例えようがない。ボタンは「花の王」、シャクヤクは「花の宰相」ともいうらしい。

 さて6月、陰暦の異名は水無月(みなづき)、その名の由来はいくつかあるようだが、酷暑のため水が枯れる水の無い月という説はぎすぎすして色気がない。「み」は水「な」は連体助詞で「水の月」いわば「田に水をたたえる月」の説の方が潤いがあって気分がいい。

 5日は芒種(ぼうしゅ)、10日は入梅、21日は夏至と二十四節気は移ってゆく。カレンダーは曜日と日付を見るだけでは味気がない。全国のいろいろな行事などを見るのも楽しい。1日の欄には衣替え、アユの解禁日、気象記念日、電波の日、写真の日とある。大いに参考になる。

  ◇   ◇

 12日は盛岡恒例のチャグチャク馬コだ。きらびやかな装束の約百頭の馬の行列は、まさに初夏を彩る岩手の風物詩である。空にさえざえとひびく鈴の音、寄り添う子馬の細い脚、くらに揺られる子供たち、肩の豆絞りの手ぬぐいと編がさの乙女は一幅の絵だ。長い間の人と馬との共生のいたわりの温かい行事である。

   宮澤賢治

 夜明げには/まだ間あるのに/下のはし/ちゃんがちゃがうまこ見さ出はたひと

 ほんのぴゃこ/夜明げがかった雲のいろ/ちゃんがちゃがうまこ橋渡て来る

 いしょけめに/ちゃがちゃがうまこはせでげば/夜明げの爲が/泣くだぁぃよな気もす

 下のはし/ちゃがちゃがうまこ見さ出はた/みんなのながさ/おどともまざり

 ぼくは仙北組町に生まれた。まだ夜の明けきらぬころ、霧のかなたから鈴が聞こえる。鈴を首に下げ、2、3本の布を付けただけの馬だ。いまのように着飾った馬ではない。あの湿ったような鈴の音は、賢治ではないが泣きたくなる思いだった。忘れ難い少年の原風景である。当時、馬こは下の橋を渡ってお蒼前様へ向かったのだった。

  ◇   ◇

 下の橋のたもとに賢治清水がある。この歌碑があり、おいしい水がわいている。ぼくは必ず立ち寄って水をいただく。いつも誰かがボトルにくんでいる。過日は東京から来たという老夫妻が、歌を読みながら飲んでおられた。旅の思い出にと水を詰め、リュックサックにしまわれた。歌碑をバックにシャッターを押してあげた。

 

 チャグチャグ馬コ鈴の音色の風立ちぬ   池元道雄

 郭公やおのが谺に鳴きつづけ       岩動炎天

                               (北宴同人)


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