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『祐清私記』(ゆうせいしき)の本文では、利直の子彦六郎家直の死去は慶長八年(一六〇三年)正月十八日夜とあり、『公子伝』によれば「家直君、兵六郎、後大膳経貞、又経直、母今淵将監政明妹、慶長三年(一五九八年)福岡に生まれる、同十八年(一六一三年)正月十九日福岡にて卒、十六歳云々」とある。
正月十八日夜と正月十九日は同じであろうが、ちょうど十年を違えて記録している。ちなみに、他の記録はほとんど『公子伝』と同じである。
一方、野田内匠については、本文では慶長八年正月十八日夜とあるものの、『参考諸家系図』二の野田内匠直盛の譜には「信直公に仕ふ、利直公糠部郡姉帯村、稗貫郡新堀村に三百石を賜ふ、(中略)世子重直公に眤勤(じっきん)す、寛永元(一六三三)年十月十四日死」とし、この事件との関係は否定した形である。
次に中野修理直康について、『参考諸家系図』七は「文禄三(一五九四)年四月四日夜、今崎城において従弟九戸隠岐と閑談数刻に及ぶ、隠岐俄(にわか)に刀を抜て直実を刺す、その故を知らず、時に想吉正康即座に隠岐を討ちてこれを殺す(中略)同六日死、四十二」とあり、『祐清私記』の説とはだいぶ違う。
しかし、関連して二代目を相続した直正の譜を見ると「始正康、想吉、虎丸、吉兵衛」とし、没年について「寛永元年十月十五日郡山城に死、四十五」と記している。
従って、これも一見、関連なさそうだが、実は野田内匠直盛と中野吉兵衛直正の忌日が一日違いであるのは単なる偶然のことであろうか。妙に引っかかるものを感じる。
◇ ◇
【原文解説】利直から呼び寄せられた中野修理は、枕元に立った弁天の制止を振り切って城に向かう。待ち受けていたのは毒の酒宴だった。
主君から杯を受けた修理だが、毒酒であるのはすぐに見破る。立ち上がって御前に赴き、「久々にお会いした殿様が一滴も召し上がらずわれらに下さるとは、もったいなさすぎる。一献お受けされてから、われらに下されるよう」と杯を御前に供えてしまった。
利直は驚いて、嫡男の家直に「お前が修理をもてなせ」と命じて座を立ってしまう。
こうなってしまった以上、家直と修理、その場にいた野田内匠の三人は結局、毒酒を、それと知りつつあおり続けるはめになった。
父の命令で毒酒を飲んだ家直は16歳で命を落とす。
■中野氏先祖のこと(つづき)
一、秘伝にいわく、慶長八年正月十七日のことなるに、利直公思し召し候さまは、修理ことそのまま捨て置く物ならば、末の邪魔たるべしと思し召し、いろいろ計策をまわしたまえど、ついに空しく打ち過ぎたまう。
後、修理を呼び寄せ毒打ちにせんと思し召し、修理方へ使いを立てたまう。その夜修理不思議の夢を見る。年ごろ二十九ばかりの女郎、烏帽子直垂(ひたたれ)を着し枕元に立ち寄せたもうて、汝今度森岡に行きなば再び帰るまじ、行くは無用とありける。
修理夢ながら、さてありがたき御諚にて候えども、ぜひ参らでかなわぬことにて候ゆえ、明日まかり立ち、この末お守りたまえと申しける。右女郎のたまうは、われは此段を守る弁天なり、汝が成り果て哀れに思いて、かくは顕れ来る。ぜひ々々とどまりたまえとのたまいて、いずかたともなく失せたまうと見て夢は覚めけり。
修理は不安と思えども、さることのあるべきとは知らず、翌日十八日森岡へ着けり。お城になれば、利直公ご対面、お次に彦六郎家直公(利直庶長子)ござ候いける。利直公仰せられけるは、修理こと久々にて対面なり、酒一つと仰せ付けられける。
お次衆かねて用意の毒の酒に熨斗(のし)を添へて利直公の御前へ備えければ、利直公盃を取らせ、酌へ合わせたまえて修理方に遣わしければ、修理いたる所を立ちて、さて殿様には久々にてお目にかかり、一滴も上がらぬ。われらに下さる条、とてものことに一献お受け遊ばされ、われらに下され候ようと自身に酌を取り、土器を御前に備えければ、利直公驚きたまいて、彦六郎家直公を召され、修理は従来の持病起こり難しきことを言うなり、汝これにいて修理として酒宴し慰め候とのたまい、御座所を立ちたまふより、修理引き止め奉らんとつかまつる内に、足はやく奥へ入たまう。
痛ましきかな家直公。父上の命によって酌を請けて献を合わせて修理方へ指し、その席に野田内匠(たくみ)いて、修理より内匠まで指し互いに指しつ指されつ飲みければ、暮ごろより宿所へ帰り、家直公じきにご病気毒酒にかかり、医者毒けしいろいろ指し上げられども、その印(しるし)なく、痛ましきかな正月十八日の夜御年十六歳にてついに隠れさせたまふ。内匠もその夜死す。修理は翌朝死せり。かかる憂きことにあうも、前生の因果とは知らねども浅ましき次第と風聞せり。
一、右のことは秘すべく、人の知らざることなり。彦六郎家直公ご死去を秘してご食傷にてご死去と風説いたし候よし。
一、修理を三戸御城の鶴平より下の川へ落とさんとなされ候こと
一、栗谷川にてしない折りのこと
一、郡山にて尾崎堀切の時はね申し候こと
一、毒打ちの時門のかげにて討たんとすること
一、野田内匠よんどころなく相伴死すること
右数度お狙いなされ候と言う。漸々(ようよう)毒酒にてお殺しなされ候えども、お手前様のご嫡様お痛ましきおことなり。余りご不了簡のなさられ方と密々風説有り。
「祐清私記乾」
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