2004年 6月 19日 (土)       

■ 米内光政が出した礼状 盛岡てがみ館で前期講座

 盛岡市中ノ橋通の盛岡てがみ館で15日から04年度前期講座「岩手の偉人のてがみを読む」が始まった。3回にわたって岩手が生んだ偉人の手紙を読み解く。初回は盛岡市中央公民館の小西宏明学芸主査を講師に迎え、米内光政(1880〜1948年)が恩師である冨田小一郎(1859〜1945年)に出した手紙を読み解いた。

 手紙は1944年4月23日に米内が冨田にあてて書いたもの。小西学芸主査は力強い筆致で書かれた手紙を示し、「昔の手紙を読むには似ている文字を探すところから始まる。崩し字を読み解くには、書き順を考えること。漢字の書き順が分からないと、崩し字も分かりません」と昔の手紙を読み解くコツを披露。

 「時代背景を考え、どのような文体で手紙が書かれていたのか。自分よりも目上の人に書いた手紙か、そうではないのか。頭を柔らかくして読まないと昔の手紙は読めません」と参加者に呼び掛けた。

 ほかに、米内の肉声も紹介された。紹介された肉声は、山本五十六の追悼演説会の様子で、小西学芸主査は「手紙の字も肉声も偉丈夫だった米内を表している。こういう声をした人がこんな字を書くというところから手紙に入っても面白いのでは」と話していた。

 米内は1880年、盛岡生まれ。盛岡中学卒業後、海軍に進み、1937年に海軍大臣となり、日本海防の要として活躍。1940年に総理大臣に就任するが半年で総辞職へ追い込まれた。1944年夏、小磯内閣の副総理格として海軍大臣に復帰し、最期の海軍大臣を務めた。

 冨田は県尋常中学校(現・盛岡一高)で教べんを執り、米内光政、金田一京助、郷古潔、板垣征四郎、石川啄木などを教え子に持つ教育者。

 次回は金田一京助、最終回は田子一民の書簡をそれぞれ読み解くという。


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