2004年 7月 1日 (木)       

■ 「岩手山全面解禁に寄せて」星川克己

岩手山の八合目から九合目付近には、不動岩が厳然として登山者の心を浄化させるに十分である。岩の右寄りには簡易につくられた山小屋があった
【写真】岩手山の八合目から九合目付近には、不動岩が厳然として登山者の心を浄化させるに十分である。岩の右寄りには簡易につくられた山小屋があった

 岩手山は1日から、6年ぶりに全コースとも入山が可能となった。全面解禁に合わせるように、大正時代に撮影された岩手山登山の写真を見つけた。所有していたのは盛岡の松尾町におられる伊山誠幸さん。先祖の方が保存してこられたという。

 いずれも鮮明で当時の登山風俗などを知る上で貴重な写真だろうと思い、紹介させていただく。

 写真は「岩手山記」(1920年‖大正9年7月、岩手山神社宮司の小原兄麿編)にも掲載されている。しかし実物写真は克明で、細かな点までよく見える。当時の状況や、雰囲気を伝えているこの写真を多くの方々に見ていただきたいと思った。

 現代と対比して、興味を感じてくだされば幸いと思っている。

当時の履物は草鞋(わらじ)、脛(すね)には、ゲートルを巻き、腰の物は、握りめしの包みと思われる。背中には雨露を避けるための茣蓙(ござ)を背負い、これが当時の登山風俗だった
【写真】当時の履物は草鞋(わらじ)、脛(すね)には、ゲートルを巻き、腰の物は、握りめしの包みと思われる。背中には雨露を避けるための茣蓙(ござ)を背負い、これが当時の登山風俗だった

 1枚は「岩手山」の額がかかる鳥居の写ったものである。滝沢村の「分レ」のようだ。右に「巌鷲山」と刻まれた石碑がある。右側はうっそうとした林である。

 服装を見ると、草鞋(わらじ)、すねにゲートルを巻き、腰の物は握り飯の包みだろう。背中に雨露を避けるためにござを背負っている。これが当時の普通の服装だろう。

 1枚は改め所(あらためどころ)である。滝沢村の馬返しからしばらく行った先にあった。入山料を納めるのである。小屋の中でも男が一人腰掛けている。

 1枚は8合目の不動岩である。山小屋の前で全員がポーズをとっている。


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