2004年 7月 2日 (金)       

■ 〈古文書を旅する〉17 工藤利悦 「名宝・雉子尾太刀」

 ■雉子尾太刀のこと

一、ご当家御大将御太刀下緒留様、他家に替わるということあり、これ御代に小笠原の謝礼の上に伝えあり、この趣は南部十三代左馬権頭守行公の時、鎌倉公方(くぼう)持氏公より下したまう二振りの御太刀あり。これを後に雉子尾の太刀と言う。この時より下緒留様替わる、公方家に同じと言う、また武田家に依りて代々このごとしとも言う。

(『祐清私記乾』覚書の条々)

 【解説】南部家伝来の鳥頭太刀(とりがしらたち)に関する雉子頭雄雌太刀二振についての伝承を伝えるものであるが、明治年間に全国宝物調査にかかわった今村長賀は絶賛して「此の造方は実に珍しく世間類なしというも可なり」「諸家にて所蔵せらるる太刀には随分大金を費やしたる立派なるものあれども、此の如く奇なるものあらず、且つ多くは外形のみ立派にて中身は甚だ粗末なるもの多しとす。此の太刀の如きは拵といい中身といい至極揃いたるものなり」と評したという(梅原廉『南部家の名宝』より)。

 しかし、例に漏れず、この説にも諸説があり、後世に伝えるものは『祐清私記』といささか内容が異なる。

 『祐清私記』の文章が素型であるならば、いつごろから話が曲がっていったものか興味がある。

 そもそも、幕府へ提出し編纂(さん)された『寛永諸家系図伝』にはまったく触れられていない。『寛政重修諸家譜』および各種南部系図に大きく影響を与えた『南部根元記(なんぶこんげんき)』には、関連する記録はあるが、太刀を拝領したことには触れていない。

 さて現在に伝存するものは、寛文中(一六六一〜七三)に復元が計画され、延宝五年(一六七七)に完成したもの。つまり、江戸時代初期に、損傷が激しく、あるいは焼失したことを理由に、寛文年中に御金具師九蔵(高原家初代)が雉子尾太刀(復元の)御用を命ぜられ、また、延宝三(一六七五)年に御鞘師林藤右衛門が同御用を命ぜられて作成されたものである。

 現在一般に語られている説は「十四代庄司義政公、永享十一(一四三九)己未年、足利将軍義教より拝領の太刀」である。これは各種南部系図に記載されている説であるが、『奥南盛風記(おうなんせいふうき)』には「十四代庄司義政公、永享十一己未年、足利将軍義教卿、鎌倉の持氏を退治の時、一番に大手口を破り、高名御感斜めならず、御盃を賜り、諸太夫に任ず、御太刀拝領、御袰を免許され玉ふ、太刀緒留め様、諸家に替る、是を雉子尾と唱ふとも云いきたり」とある。これに拠ったものとうかがわれる。

 『篤焉家訓(とくえんかくん)』八の巻によれば『藩譜拾遺(はんぷしゅうい)』には「十二代政行は和歌の道にすぐれ、延文(延元か)中(一三三六〜四〇)に後醍醐天皇より雉子尾御剣一振と朱弓百挺を賜ふ」とあるという。その他にも諸説は錯綜している。

 なお、緒の結び方は「他家と異る」ことを諸説は伝えるが、伝存する太刀拵の結び方について、花巻市博物館の梅原廉館長によると、特に変わったところはない。変わり結びは近世に流行して十数種あるとされるが、中世にはなかったことだと故実書は伝えているという。

 『御宝蔵御腰物帳(おたからくらおんこしものちょう)』によれば、雉子尾雄雌御太刀は、豊臣秀吉から拝領の雲生鞘巻御太刀をしのぐ取り扱いをしている。

 仕様書は難しいが、おおよそ次の通りである。

 

 雉子尾雄御太刀    一腰

はばきは金無垢の一重で地鑢(やすり)をかける。柄頭は赤銅で作り、雉子頭には総金の玉縁・猿手がつく。雉の目は赤銅二重座にして角、金眼のうち金輪、敷座は唐草を毛彫りにす。柄は赤地錦包みとし紺糸を巻く。目貫は銀地で雲、金地で日を彫り、星の目釘となる。鐔は木瓜形の三枚重ねのもので、両二枚は赤銅魚子(ななこ)地に銀縁、中は金無垢に赤銅覆輪とする。大切羽は金無垢の裏菊、中切羽は赤銅、竪篠、上切羽は銀無垢の小割表裏六枚である。鞘は雉子尾の羽毛を燻(いぶし)銀色に塗り、鯉口は赤銅魚子地に金の玉縁とし、鞘巻下は錦包みとする。帯取の上下・一の責・足緒付の正平革先の金具は鯉口と同じ。中身は備前の長船真長の銘。匂口のしまった直刃に丁子交じりの太刀(長さ二尺六寸一分、中心八寸一分余)が入る。

 

 雉子尾雌御太刀    一腰

はばきは金無垢の一重地鑢のものである。柄頭は雉子頭を金で作り、赤銅の玉縁・猿手がつく。雉の目は金・赤銅の二枚敷座で銀を毛彫りにす。柄は赤地錦で包み、柄糸は茶糸で巻く。目貫は金の雲、銀の月とし、目釘は星。鐔は木瓜形三枚重ねのもので、両側は金無垢魚子地に銀の玉縁とし、中は赤銅地に金覆輪とする。大切羽は銀無垢、中切羽は赤銅竪篠、上切羽は金無垢小割六枚となる。鞘は雉子尾の羽毛を茶色に塗る。鞘巻の所は赤地錦で包み、鯉口・一の責・帯取上下・足緒革先の金物はすべて金無垢魚子地に赤銅の玉縁とする。身の銘は備前の長船貞家。皆焼風の華やかな乱れ刃の太刀(長さ二尺六寸一分、中心九寸二分余)が入る。応永年二月日と切り付けがある。


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