|
盛岡市愛宕町の市中央公民館郷土資料展示室で初夏の企画展盛岡時代絵巻@「南部家隆昌〜封内の富天下にかんたり」が開かれている。盛岡藩が盛岡南部家と八戸南部家に分かれた340年前、領内の経済は産金と海産物によって藩政時代で最も栄えたころだった。お家断絶の危機を乗り越えた盛岡藩はそれまでの経済的なゆとりを背景に文化的にも豊かな時代を送った。今展は盛岡藩第3代重直から第5代行信までの治世を中心に当時の大名文化をしのばせる展示内容となっている。
|
|
|
 |
|
|
【写真】「薄紫地御簾鉄線唐草文唐織」
|
|
|
|
|
約40点の展示の中心は1630年(寛永7年)ごろから1700年(元禄13年)前後までの時代。同館の小西宏明学芸主査は「盛岡藩の最盛期といえる時代。重信のあたりで産金は終わりかかっていたが余力のある時代が50年ぐらい続いた。金銀と海産物が藩の経済を支えた」と話す。元禄になると大飢饉(ききん)も起きるが、餓死者もあまり出さず救済ができた。
重直(1606〜1664)のころ藩主は盛岡に居城となった。京都に屋敷を構えて文化を吸収しようとしていたり、方長老や栗山大膳を優遇して地域の文化水準の向上につなげた。「布袋の図」は藩主に就く前に描かれた絵。
第4代重信(1616〜1702)は重直の弟。世継ぎを決めないまま重直が死去したため(近年は重直が跡継ぎを幕府にゆだねていたという説が有力になっている)、幕府の通達により分藩された8万石の盛岡藩の当主となった。八戸藩2万石の当主には弟の直房が就いた。重信は文化人として教養が高く、将軍の前で能を舞ったこともある。藩の安定とともに文化興隆に努めた。
「寄松竹祝」は全国諸侯が注目した和歌の才を示す一つ。「呉竹のなひくハ民のすがたにて枝もうこかぬ千代の松風」という歌が短冊状の書面で残されている珍しいもの。領民とは異なり時流に流されない藩主のあり方を示している。
行信(1642〜1702)は重信の子供で、重信の治世が長く続き、重信死去の年になくなっているため、わずか10年の治世だった。飢饉に対して良政を敷き領民の信望が厚かった。行信画像は穏和な人柄を伝える。
文武両道の達人で、書画は玄人はだしの人物画を描いた。「心的妙化流砲術」の冊子は行信の編によるもの。狩猟のコツなどを絵付きで紹介した内容で、絵も行信が描いたとみられる。行信も将軍の前で能を舞っている。
文化の興隆ぶりを示すものとして、能装束がある。初公開の「薄紫地御簾(みす)鉄線唐草文唐織」は袷仕立てのもので、金糸の御簾にてっせんの花とつるが下りている。1種類の花だが花弁の色を紅や黄などに色分けし色彩豊かにしている。
重信の「茶地もめん袖合羽」、「焦茶縮緬地菊藤文帯地」も初公開。八戸藩の飛び地など分藩に関する資料も展示している。
7月25日まで。入場料は大人150円、高校生100円、小中学生50円。
|