2004年 7月 5日 (月)       

■  〈標本室へようこそ〉重大国策だった馬産振興

岩手大学ミュージアム本館に収められた馬の模型を見ながら盛岡農林専門学校で学んだ当時を懐かしむ小笠原成郎さん
【写真】岩手大学ミュージアム本館に収められた馬の模型を見ながら盛岡農林専門学校で学んだ当時を懐かしむ小笠原成郎さん
 「1893年、マクス・ランズベルク作・アンバサダー」「1928年、小森精光作・南部馬」−。標本室には明治期から昭和初期にかけて作成された精巧な家畜の模型(タイプ標本)が残されている。特に世界各地の馬をモデルに、その外貌(がいぼう)を正確に縮小し再現した模型は学術的に貴重なだけでなく、美術品としての魅力すら感じさせる。これらの模型はさまざまな種類の馬の骨格や肉付きなどの特徴を学ぶために用いられた。

 富国強兵を目指す明治政府にとって馬の改良と軍馬の確保を目的にした馬産振興は、国の存亡をかけた重大国策だった。もともと馬産が盛んな本県は国の種馬所や軍馬育成所の支所が置かれ、良質な軍馬補充地として太平洋戦争の終結までその役割を担っていた。

 岩手大学の前身となる盛岡高等農林学校(明治35年設置)、盛岡農林専門学校(昭和19年改称)でも馬の体型系的な特徴や繁殖育成などを総合的に学ぶ馬学は重要な科目だった。歴代の教授の論文や残された標本からも並々ならぬ力の入れようがうかがえる。

 馬の模型は各国の馬の起源、種類、分布、外貌、繁殖育成法などをまとめた「馬學」(昭和7年から16年にかけて発刊)を著した久合田勉、外科が専門だった小西要、のちに病理学教室教授となる菊池賢次郎ら、大正から昭和にかけて教べんを取った研究者の手で集められた。

 北里大学名誉教授の小笠原成郎さん(77)=盛岡市永井=は、終戦前後に盛岡農林専門学校で学んだ一人。久合田の著書を教科書に馬学の授業を受けた。

 当時は満州へ移転した騎兵隊から払い下げた100頭以上の馬を学校が所有し、周囲の農家に貸し付けていた。春先になると一斉に健康診断に連れてくるのが慣例。獣医師の卵たちも検査の手伝いに借り出された。

 学生といえども毛色やつむじの位置、ひづめの特徴など1頭、1頭の馬を見分ける術は心得ている。農家の中には学校に黙って馬を売り、別の馬を連れてくる者もいたが、ごまかしはいちべつで見抜いた。

 乗馬も必修で訓練は朝5時から始まる。気性の荒い馬に当たった学生はさらに1時間も2時間も早起きして馬具を整えたという。獣医学を学ぶ多くの学生が軍の獣医官を目指す時代だった。

 終戦を迎え学内にも米軍が進駐した。異臭を放つみそ樽など欧米人が嫌う物をわざと通路わきに転がし、ささやかな抵抗を試みたが勝負は決まっていた。歴代の教授たちが熱心に集めた美しい馬の模型も、くわえたばこの米軍人たちが小脇に抱え、いとも簡単に持ち去った。現在は18体が残るのみとなっている。

取材協力・岡田幸助岩手大学農学部獣医学科教授


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