2004年 7月 5日 (月)       

■ 〈演劇〉李白はなぜ死んだのか 架空の劇団「月下の一群」 

架空の劇団の「月下の一群」(7月3日)
【写真】架空の劇団の「月下の一群」(7月3日)
 盛岡市の架空の劇団第5回公演「月下の一群〜震旦篇」は1〜3日、同市松尾町の盛岡劇場で上演された。団員高橋拓の作による今公演は中国の詩人李白にまつわる「李白捉月伝説」をモチーフに明代の短編「愛卿伝」など中国古典のエッセンスを取り込んだ。8人の登場人物が月をよりどころに絡まり合う。此岸と彼岸を行き来し、同劇団がこれまで取り上げてきた「死と再生」に迫っていく。

 登場するのは李白のほか、李白の船遊びを請け負う船頭、兵士となる青年、青年に殺される楊貴妃、人の運命を支配しているかのような女神・西王母、詩人陶淵明と若い夫婦。

 月の夜、船上で酒と詩に興じる李白の登場で幕を開ける。李白は水面に映った月をすくい取ろうと、船から落ち死ぬ。これが「李白捉月伝説」。なぜ月をつかまえようとしたのか。船頭は「帰っていったんですね」とつぶやき月を見上げる。

 死んだ李白を待っていたのは西王母と陶淵明。人間の欲を全身で表現する二人。舞台では漢詩が随所に挟まれる。特に李白と陶淵明の希代の詩人が絡み合うシーンは、リズミカルで流麗な詩のせりふが心地よく音楽のように聞こえる。今公演の見どころの一つに挙げられる。

 話の展開が常に月に向けられていることを青年が明らかにする。青年は満月の夜になると我を忘れ残虐になる。母を殺し、兵士になる。そして楊貴妃を殺害する。彼が目指すのはけだもの。満月であるなしにかかわらず逡巡(しゅんじゅん)せず命を奪えるものが自分の生きる道だと思いこむ。

 すべてを月は知っていた。彼らの祈りは月を通して向けられる。

 此岸と彼岸を結ぶもう一つの糸が戦争にほんろうされる夫婦。ところが、この夫婦だけは月とは直接向かい合わない。出世のため都に出た夫の留守中に戦争が始まり、妻は夫の帰りを待たず死ぬ。夫が帰宅し再会した夫婦。妻は一晩だけ面会を許された。

 船頭の男の赤ん坊が妻の生まれ変わりと言われ会いに来た夫。あやしていたのは李白。李白は赤ん坊と約束したと言って船頭に船を出させる。李白のかの伝説は酩酊(めいてい)しての事故死ではなく、約束を果たすためだった。

 李白の死が意味を持って浮かび上がり、夫への操を守るため自害した妻も、悪女とされ報いとして殺害される楊貴妃もその死の意味を明らかにされる。そのとき青年の言葉がよみがえる。戦争が起きなければ犠牲にならなかった民衆の死をいったい、どう整理すればいいのか。

 妻も戦争の犠牲になった。戦争がなければ失われない命だった。具体を描けない民衆も同様だろう。妻の死はせつなく悲しい。民衆一人ひとりの死もしかりだろう。演出は主宰のくらもちひろゆき。

 


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