盛岡てがみ館の第14回企画展「時代(とき)を越えて生きる人々〜信念を貫いた先人の筆跡」に6日、新資料が加わった。ジャーナリスト、政治家の鈴木東民(1895〜1979)がめいの渡部芙紀子にあてた書簡1通と彫刻家舟越保武(1912〜2002)=一戸町出身=が盛岡市出身の彫刻家佐藤祐司氏(73)にあてた書簡2通の計3通。新資料の展示は19日まで。舟越の書簡は佐藤氏の個人蔵であり、今回舟越の妻道子さんの協力で展示が実現した。
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【写真】舟越保武書簡 1991年6月6日に佐藤祐司氏にあてられた左手でしたためられた手紙
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釜石で育った鈴木東民は、東京帝国大学卒業後ドイツに留学。そこで過激なナチス批判を展開しベルリンを追われた反骨のジャーナリスト。帰国後読売新聞社に入社するも、軍部を批判したことでペンを折られ、故郷釜石に帰り市長選に出馬。1955年から、3期12年にわたり、釜石市長を務めたという異色の経歴の持ち主。市長当選後も持ち前の反骨精神で民主主義の推進に奔走した。
鈴木の書簡は、1978年4月17日にめいの芙紀子にあてて書かれたもの。書簡はもちの礼状として書かれた。
後半部分で「釜石では鮭がたくさん川にのぼるようになり何万ととれるようになったそうでよろこんでいる。公害防止のために釜鉄とたたかい、ぼくは市長選に敗れて釜石を追われたが、ぼくの代わりにサケがやって来た。公害を阻止したおかげである。民主々義を将来するために、戦争に反対し、起訴され、職を奪われ、強制疎開させられ、餓死の一歩手前まで追いつめられたぼくの一生は弱者の一生だった、現在の社会では正義を守ろうとする者は強者にはなれない」などと自らの一生を振り返っており、革新市長と呼ばれた鈴木の内面を垣間見ることのできる貴重な書簡となっている。
舟越が書簡を贈った佐藤氏は、舟越が高村光太郎賞を受賞した長崎26殉教者記念像の制作助手を務めた人物。
展示されている書簡は2通。1通は、1991年6月6日に書かれたもので、がんを克服し、健康を取り戻した佐藤を祝い、渓流釣りという互いの共通の趣味と舟越自身の病の体験とを重ね合わせた内容を記している。
もう1通は、1997年5月22日に書かれたもので「あなたものんびり平和を楽しんで下さい」など、舟越85歳の心境を読み解くことができる内容となっている。2通はいずれも、舟越が病に倒れた後、左手で書いたもので、病に倒れるも力強い筆致を残した舟越の姿を見せてくれる。
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