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【写真】鈴木善幸氏
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自民党元総理の鈴木善幸氏が19日夜、東京都内の病院で肺炎のため死去した。93歳だった。山田町出身の鈴木氏は旧岩手1区から出馬し衆院議員16期。1980年に自民党総裁、同年7月から82年11月まで総理を務めた。本県からは5人目、戦後初の総理となり「和の政治」を信条に自民党に安定期を導いた。89年に政界を退いてからは子息の鈴木俊一代議士(自民)に地盤を譲り、自民党の最高顧問として後進の指導にあたった。
通夜は21日午後6時から東京港区の長谷寺で、密葬は22日正午から同寺で行われる。自宅は東京都世田谷区経堂3の10の6。喪主は長男の俊一氏。
鈴木氏は1911年山田町の漁家に生まれ、農林省水産講習所卒後は水産団体の立場から政界を目指し1947年に社会党から衆院議員初当選。吉田茂との出合いで民主自由党入党後は保守政治家として歩み、自民党内で重きを成した。80年に急逝した大平総理の後を継ぎ組閣。衆参同日選の自民党大勝を背景に党内融和を図り、行革と外交に尽力した。82年には総裁選不出馬を表明し、中曽根内閣への道を開いた。東北新幹線や高速道など本県の基盤整備に尽力し「ゼンコーさん」として多くの県民に親しまれた。
増田知事は20日の定例記者会見で「沿岸から出られて沿岸地域の漁業振興から始まり、本県の社会基盤、挙げれば限りない。新幹線など一番大きな仕事で、高速道などさまざまな課題を岩手のため、東北全体のために実現してもらった。自民党が大変強い時代にさまざまな派閥がある中その間の調整に大変力を発揮されて一時代を築いた功績が総理就任につながった」と、生前の功績を評価した。
「最近お目にかかったのは2年くらい前だが、ある国会議員の勲一等のお祝いの会に行ったとき、来ておられてお祝いの言葉を述べられていた。ちょっとごあいさつしたのが最後だ。いずれ大変お元気でいられると聞いていたのに」と無念がった。
県議会で鈴木派だった前雫石町長の川口善弥氏は「19日夜の野球中継でテロップが入って訃報を知った。病気をしているとか入院しているなど全然聞いていなかったので大変驚いた」と悲しみを語った。「盛岡に来ると大沢川原の旅館に泊まり、よく食事に誘われた。お酒の好きな方で何度も声をかけてもらった。そこで中央の情勢などいろいろお話を聞いた」と、その人となりを偲んだ。
「新幹線の盛岡延伸は当時、自民党の総務会長で鉄道建設審議会会長だった鈴木先生がいたからこそだった」と地元への功績を強調した。
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