2004年 8月 7日 (土)        

■  〈矢巾町〉徳田倉庫が無くなるのを惜しむ 地域住民ら考える会を発足

徳田倉庫を考える会の立ち上げに集まった町民ら
【写真】徳田倉庫を考える会の立ち上げに集まった町民ら

 矢巾町の町民らが6日、徳田倉庫を考える会を立ち上げた。徳田倉庫は同町が進める矢幅駅西地区土地区画整理事業に伴い解体される計画。歴史的建造物、地域の原風景として解体を惜しむ声が上がっている。同会は町民5人が発起人となって呼び掛けたもので、立ち上げ会には約20人が町内外から参加した。まだまだ徳田倉庫の認知が広くないとの認識で一致。町民が建物の置かれた状況を知らないまま消えていくのは忍びないと、周知に努めながら、保存活用の可能性を探っていく。

 町内で開かれた立ち上げ会では発起人の一人、薬剤師川村満保さんが「郷土の文化遺産に強い関心を抱くことはなかったが、徳田倉庫の解体計画を知り身近にありながら歴史的価値を見過ごしてきたと思っている。徳丹城跡を掘り起こしている一方で、今ある遺産を壊そうとしているのは解せない。町内外の人々に見てもらうことから何かが芽生えるかもしれない。指をくわえて見ているわけにはいかず、きょうに至った」と会設立の趣旨を語った。

 別な発起人の獣医小川文子さんが徳田倉庫解体をめぐる経過を報告。5月の見学会の感想、川村さんの写真展開催、土地区画整理事業の大要、4日に面会した町との話し合いの内容などを説明した。

 参加者のうち町民の多くは昨年か今年になって解体計画を知ったという。解体を惜しむ気持ちが強く、保存が願い。

 参加者からは「子供のころからの思い出があり、ぜひ残したい。町のお宝」「最近まで中身の素晴らしさが分からないできたが、見学して米を大切にした人々の思いが伝わった。徳丹城跡とこれぐらいしか町の歴史を伝えるものはないのでは」「町が徳田倉庫を紹介してこなかった中で壊すのは、宝物をみすみす捨てるようなもの」「町は新しいものを造るのは得意だが、古いものを残す視点がない。残すべき財産」などの思いが吐露された。

 町外から建築家らが参加。広島の原爆ドームを例に「残されなかったら今の歴史はなかっただろう。徳田倉庫はあそこにぽつんとある状況が素晴らしい。土地区画整理事業は倉庫を残す前提でプランが作れるのにしなかった。それをしなかった行政は責められて仕方がない」と、残して生かすシナリオ作りを提唱。「保存運動はもともと手遅れのところから始まる」とあきらめない、粘り強い活動をアドバイスした。

 倉庫は10月にも解体される。同会では、内部見学の機会を設けるよう町に働きかけるほか、倉庫の現状について広く周知を図る。保存を声高く唱えるのではなく、より多くに倉庫の存在、価値を知らしめるのを大きな目的とし活動していく。倉庫だけでなく、町のまちづくりなども併せて考えていく方針だ。

 倉庫は銘柄米の徳田米全盛期の1934(昭和9)年、米1万俵を収容できる米倉庫として建設された。JR矢幅駅のそばで東北線から引き込み線が引かれ、荷が積み出されていた。木造平屋建ての倉庫2棟と肥料倉庫1棟から成り、木造の建物の内部にしっくい壁の倉庫が入った構造。旧徳田農協から旧矢巾町農協の所有を経て1998年、町が事業の用地として先行取得した。


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