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8月生まれの有名どころの作曲家を紹介するとすれば、まずロシアのアレクサンダー・グラズノフ(1865・8・10〜1936・3・21)だろうか。日本ではチャイコフスキーの影に隠れて、作品が演奏会に取り上げられる機会は非常に少なく、音楽愛好家の間でも、バイオリン協奏曲イ短調くらいしか知られていない。
グラズノフも天才を発揮。ピアノを始めたのはモーツアルトより遅いが10歳から、14歳でバラキレフに作曲を師事。バラキレフは彼の天才的感性を見抜き、一年後にリムスキー・コルサコフに託した。16歳で第1交響曲を発表して世間を驚かせる。数年後、グラズノフはこの曲でリストの指揮によってヨーロッパデビューを果たし、一躍名前が広がる。
グラズノフの管弦楽法は師匠の色彩感を受け継ぎ、細密画のように緻密(ちみつ)に書き上げられ、その技法と感性を見込まれて24歳で、ブゾーニ創立のペテルブルグ音楽院の管弦楽法教授に抜擢(ばってき)される。
余談だが…リムスキー・コルサコフは管弦楽法の名手で、作品は色彩感にあふれ幻想的。その技法を「管弦楽法原理(1913年刊行)」という不朽の大著に結実させた。
日本では作曲家小松耕輔の末弟小松清(フランス語からの)訳で昭和14年、上下2巻で出版され、筆者が購入したのは戦後再版の昭和33年ごろで芸大入学前。上巻は理論、下巻はコルサコフ自作の豊富な楽譜例になっている。
しかしこの著書は筆者が作曲家を志した時代背景にはそぐわない資料だった。理由はコルサコフ作品の演奏は当時(今も)スペイン奇想曲やシェラザードだけで、楽譜例を音で確かめる演奏会もレコードもなかった。芸大入学後作曲科の友人に貸したら、同じ理由で「高い買い物だったネ」と嘲笑(ちょうしょう)をかった…さて本論…。
1905年のロシア革命時に、師匠コルサコフが革命派擁護論者であったため、政府からコルサコフは辞任に追い込まれ、師匠に殉じてグラズノフも音楽院を退く。しかし音楽院が自主管理を獲得したとき、42歳で院長に推薦された。
グラズノフはコルサコフを助け、共同でボロデンやムソルグスキーの未完成原稿を完成させたことなど社会的貢献をし、指揮者として音楽啓もうに尽くしたことでも知られている。
アシュケナージのN響指揮者就任によって、これらロシア音楽の正統派作品を聴くことができるのだろうか?(岩手大学名誉教授)
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