2004年 9月 2日 (木)        

■  〈オホーツク挽歌行〉A 大信田尚一郎 「樺太鉄道に乗って」

サハリンを旅する列車内
【写真】サハリンを旅する列車内
 ■賢治の泊まった「花屋ホテル」付近のリュバックホテル

 夕刻コルサコフに上陸後、バスで一路ユジノサハリンスク(旧豊原)に向かい、ホテル「リュバック」に入った。ユジノサハリンスク駅のすぐ南東隣。北海道から参加した松田嗣敏さんの調べでは、賢治が旅の大半を宿舎にした「花屋ホテル」のあった場所とは、道路をはさんですぐの向かいになるだろうという。

 景観はすっかりロシア風になっていて、自動車の行き来する繁華な地であるが、賢治も見たであろう鈴谷山地が見える。奇遇を感じる。

 ■「樺太鉄道」に乗って

 8月2日朝、さっそくユジノサハリンスク駅からドリンスク(落合)へ約1時間の列車の旅。車体はロシア製であるがレールは賢治の時代と同じ狭軌である。ロシアではサハリンだけが狭軌鉄道という。

 途中、各駅に停車するごとに、樺太時代に旧川上炭坑からの石炭を運んだという「小沼」、白くてきれいな雪の積もったという「深雪」、陸軍の飛行場があったという「大谷」など、昔の駅名の解説を受けながら車窓からの景色を眺める。柳やシラカバ、ナナカマドなどの樹木が美しい。賢治詩「樺太鉄道」の舞台である。

 ■通訳ガイドの金栄子さんの生まれた町

 ドリンスク(落合)の駅は現在の市外とはちょっと離れたところにあった。

 わたしたちの通訳ガイドを務めてくださったのは、金栄子さんという朝鮮語、ロシア語、日本語を流ちょうに話す素晴らしい女性だった。落合第二国民学校の5年生の時終戦となったという。朝鮮名は 金栄浜さん。偶然にも 賢治の「オホーツク挽歌」作詩の地にちなんだお名前だ。

 「わたしの生まれ育った落合の町をしっかり見ていってほしい」と言いながら、旧時代の国民学校跡や町並み、役場、日本風の太鼓橋のあった場所、王子製紙落合工場跡などを説明してくださった。賢治の時代にほぼ近い、戦前の「樺太」が想像できた。

 落合製紙工場は、今は操業しておらず、当時をしのばせる煙突がそびえていた。

 わたしが、昨年訪れた時に見た、旧国民学校の「奉安殿」は、今回も雑草の中にそのまま残っていて、皆でバスから眺めた。

 賢治が来たころは、ここからさらに栄浜(現スタロドブスコエ)まで鉄路が敷かれていた。(つづく)


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