2004年 9月 4日 (土)        

■ 〈オホーツク挽歌行〉B 大信田尚一郎 「廃線になっていた栄浜駅」

  ■栄浜駅は廃線となっていた

オホーツク挽歌作詞の地・栄浜
【写真】 オホーツク挽歌作詞の地・栄浜
 2日の昼下がり、わたしたちのバスはスタロドゥブスコエ(旧栄浜)駅があった場所に着いた。81年前の8月3日の夕方、賢治はこの駅に降り立った。

 昔、ニシンやサケの漁業で栄えた、当時鉄道で行ける日本最北端の駅は、今は廃線となっていて駅舎はすでになく、ぽつんとレールが数条孤立して残っているのみであった。赤さびた鉄路の犬くぎが数個落ちていた。ハマバラが咲き、ツメクサやチモシーの穂が揺れていた。賢治はとりあえず、駅前の旅館に宿泊したらしいのだが、その旅館はいったいどの辺にあったのだろうか。

 見回すうちに、近所のロシア人の老人が現れて、「わたしはこの駅の駅長をしたことがある。昔の日本時代の建物の土台石が残っている。案内しよう」という。駅跡に隣接する畑の中に、コンクリートのタタキがあった。

 ■栄浜の海岸に立った

 栄浜の砂浜は、駅跡から民家をう回する道を通って数百メートル歩いたところだった。ロシア人の少女が2人、先に立って案内してくれた。明るい青空のもと、緑がかったオホーツクの海が遠くまで広がっていた。砂浜の砂はこまい粒子でできていて、歩きやすい。オホーツク挽歌には、「馬のひづめの痕が二つづつ」とあるが、今は、自動車のわだちが残っていた。

 

 緑青は水平線までうららかに延び

 雲の塁帯構造のつぎ目から

 一きれのぞく天の青

 

 オホーツク挽歌の世界が眼前にある。みんな体いっぱい、「サガレンと栄浜」の風景を受けとめるために、しばし言葉もない。

 ■白鳥湖のたたずまい

 到着の夜の賢治の行動は分かっていない。宿で休んでいたかもしれないし、北に隣接する「白鳥湖」方面に行ったかもしれない。夜中、読経しながら彷徨(ほうこう)したり、野宿したという説もある。その白鳥湖にバスで行ってみた。

 オホーツク海沿いに、まっすぐ北に伸びる国道に沿って、白鳥湖は散らばっていた。ひろびろと広がる数個の沼を、当時白鳥湖と呼んでいた。

 金さんは、戦時中、列車の中から窓越しに、たくさんの白鳥が集まっているのを見たという。白鳥の中継地だった。今は白鳥はあまり見られないという。

(つづく)


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