2004年 9月 6日 (月)        

■  「賢治を写す」 故宮沢清六さんの写真展で孫がトーク

 盛岡市中ノ橋通1丁目のもりおか啄木・賢治青春館で開かれている宮沢清六写真展「賢治の世界を撮る」のギャラリートークが4日、同会場で開かれた。清六氏の孫で林風舎代表の宮沢和樹さんをゲストに迎え、中村光紀館長と清六氏を通しての賢治像などを語り合った。

中村光紀館長と宮沢和樹さん(右)
【写真】中村光紀館長と宮沢和樹さん(右)

 展示作品はすべてイギリス海岸を撮影したもの。中村さんは「北上川は今は水流が多く、賢治の見た川原の風景はあまり見られない。作品は、清六さんが70歳前後に撮ったもの。自分は、企画した賢治の展覧会などを通して清六さんとお付き合いをさせて頂いた。穏やかで謙虚な素晴らしい方だった。賢治文学を後世に残すために尽力した」と紹介。

 宮沢さんは「祖父は文章などをほとんど残していない。それは自分が表に出たくないという気持ちだと思う。その代わり写真をやりたいと言っていた。写真は賢治とつながっていながらも、清六独自の世界だと思う」と言う。

 高校3年生まで仙台に住んでいたという宮沢さん。夏休みなどには清六さんの家に来て、一緒にイギリス海岸を訪れた。「祖父が撮影したのは風景ではなくディテール。渦を好んで撮ったのは、賢治もそうだが、宇宙と思ったから。ほかの銀河系を撮った写真は、ちょうどゴッホのイトスギの絵にそっくり。その絵は賢治も好きで持っていた」と話す。

 よく使われる賢治のうつむいて歩く写真については「友達が外で撮ってみたいと言ったのに応えたもの。賢治が『ベートーベンのまねをして歩くから、この辺に来たときに撮ってくれ』と注文を付けたと聞いている。暗いイメージではない」と笑う。

 音楽が好きだったという兄弟。「祖父は蓄音機のねじ巻き係だった。竹針のSPレコードで、1枚が10分ぐらいで終わってしまう。1曲聴くのに10枚ぐらい必要。賢治は自分で替えると音楽に浸れないので、祖父がやっていた。ゴッホが弟のテオと一緒に言われるのと同じように、賢治と清六も二人で一人という感じ」と思う。

 「賢治は蓄音機を外に持って行って聴きたかったみたい。今だったらヘッドホンステレオを持ち歩いていたと思う。機械が好きだったので、パソコンもかなりいじっていたと思う」と話す。

 「母は一人っ子だったので、自分が初めての孫だった。ちょうど60歳離れた、たつ年同士ということもあり、かわいがってもらった。林風舎は祖父が名付けた。賢治作品(『北守将軍と三人兄弟の医者』)のリンプーから取ってそれに漢字を当てた。林と風は賢治作品の中で重要な言葉だからと言ってくれた。命日は自分の誕生日の6月12日。忘れるなと言われているんだろうなと思う」と話していた。

 同展は26日まで。午前10時から午後6時(入場は同5時半)まで。入場は無料。


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