|
紫波町の日詰地区と古館地区の境にある水源山大横井戸の見学会(水源山皇大神宮氏子会主催)がこのほど、30人余りの町民が参加して開かれた。水源山は日詰郡山駅の最北部にある森。郷土史家の内城弘隆さん(69)が調査した結果、この水脈に沿って多くの商家や住家が建ち並んでいることが分かった。いわば水源山は日詰の町づくりの元になった森。参加者は地域の貴重な史跡に見入った。
|
 |
|
|
【写真】数十年ぶりに開かれた水源山大横井戸をのぞき込む日詰住民たち
|
|
|
|
|
|
|
案内をした内城さんは2年前から日詰郡山駅の井戸調査を行い、古地図による井戸の配置、個々の家を訪ねての聞き取り、内城さん自身の井戸の記憶を元に日詰中心部の井戸の分布を調査した。その結果、昭和20年代で総数161基、うち湧水やため井戸が14基、釣瓶井戸が67基、突き井戸が71基、電動モーターの付いた井戸が9基あった。
井戸の分布から水脈を推理した結果、日詰商店街の中間と南に西から東に流れる水脈があった。水源山から日詰商店街の中間付近まで列をなして井戸が並ぶ通りを水源山の水脈と内城さんは推理している。
見学会したのは北にある鍛治町中間にある鍛治町井戸、水源山のふもとにある民家の井戸、水源山大横井戸の3カ所で、いずれも40年くらい前までは使われ、水源山からの水を地域では金剛水と呼んでいる。
井戸を掘るには莫大な金がかかるため富裕層が所有していた。一般の世帯は井戸を使わせてもらったり協力して掘ったものを共同井戸として使っていた。
鍛治町井戸は共同井戸だったようで地域の人たちの生活用水、街道沿いにあったことから旅人が水を飲み休憩する場所でもあったという。
水源山のふもとにある民家の井戸は使われなくなって久しいという。非常に澄んだ水で、ひしゃくでくんで手を入れながら「冷たくて気持ちいい。この水は真夏でも冷たいんですよ」と、年輩の女性が記憶をよみがえらせていた。
3番目の水源山大横井戸を見る前に、内城さんが水源山は聖地であり、同山をご神体とし、明治41年に水を守る神として天照皇大神宮を移したことを説明した。酒で周囲を清め手を合わせたあと井戸のふたを開くと、地域の人たちは数十年ぶりに見る井戸を懐かしそうにのぞきこんだ。
横井戸を計測したところ幅1・2メートル、高さ1・8メートルで水源山の庚申碑の真下まで真っ直ぐ30メートル続いていた。水は50センチから最大で1メートルほどの深さ。井戸の上には庚申や馬頭観音など幾つもの碑が並び、このすぐ上に中野吉兵衛の館跡がある。
水源山を水脈とする井戸について参加者の滝沢和子さんは「毎年8月7日に一斉に井戸清掃をしてお盆を迎えたものです。大横井戸は数人がかりで清掃していました」、大横井戸の近くに住む男性は「子供のころ、この井戸に入って探検をしたことを思い出しました」と懐かしそうに話していた。
内城さんは「今でも使える。この井戸は日詰の歴史を物語る上で重要なもの。この井戸水があるから街ができた。史跡として展示する意味でも復元したい」と呼びかけていた。
|