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7月に亡くなった元総理の故鈴木善幸氏の追悼式が7日、盛岡市内丸の県民会館で開かれた。増田知事を実行委員長に約3千人が参列し、郷土の宰相の遺影に別れを告げた。
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【写真】鈴木元総理の遺影に式辞を捧げる増田知事
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陸上自衛隊の儀仗で参列者全員が黙とうをささげ、増田知事が式辞を述べた。「昭和55年に総理となられ、140万県民と国民の期待のもと『和の政治』を掲げ、『足らざるを憂うる政治ではなく、等しからざるを憂うる政治』を目指し、社会的公平性を求めて卓越した識見と実行力を発揮された」と遺徳をたたえた。
当時のマンスフィールド大使の「政治家は権力を求めることがあるが、まれには権力の方から政治家を求めることがあった。歴史はあなたをそう記録するでしょう」という評価を引用し、政治家の鑑とした。
「山田町出身の先生は漁港振興はもとより、東北新幹線の盛岡延伸や三陸鉄道の開通など本県の基盤整備にも尽力された」と感謝し、郷土への遺志を継ぐことを誓った。
自民党の宏池会を代表して衆院議員の瓦力氏が「鈴木内閣が発足したころはソ連のアフガン侵攻やイラン情勢などの余波で国際関係は緊張続きで、日米同盟の強化と防衛力の増強が課題だったが、平和憲法に盛りこまれていた日本の理念をもってレーガン大統領に正面から注文を付けたことがあった」と外交のエピソードを紹介し、温顔に秘められた気骨をたたえた。
友人代表で岩手日報会長の村田源一朗氏、経済産業界代表で県漁連会長の金沢勘兵衛氏、後援会代表で県医師会会長の石川育成氏が追悼の言葉を述べ、「ゼンコーさん」の面影をしのんだ。小泉総理の弔電が読み上げられた。
自民党国会議員、県選出国会議員、市町村長、県議会各会派代表らが献花。遺族を代表して自民党代議士の鈴木俊一氏が「父は岩手の男で派手な所作は苦手だったが、与えられた仕事は黙々とこなしていた」と述べ、「43年間、常に県民の力に支えられてきた。首班指名されて内閣を率いたのもすべてその賜物だ」と県民の支持に感謝した。
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