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【写真】村梨子鉄線唐草葵紋散食籠
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盛岡市愛宕町の市中央公民館郷土展示室で1日から、企画展「盛岡藩20万石の輝き〜諸侯22位の大藩が奏でる大名文化」が始まった。今展は18世紀末から幕末までの南部家と盛岡藩に焦点を当てて大名文化を振り返る。この時期は盛岡藩が20万石へ家格が上がり、利剛に水戸徳川家の明子姫が輿(こし)入れしたことなどで南部家史上、歴代最高位に位置していた。
藩主は利敬、利用、利済、利義、利剛と続いたころ。利敬は2歳で襲世、歴代最長期の37年間、治国した。利用は23歳と短命、利義は治国1年と最短期だった。利剛は実質的な幕藩体制最後の殿様で明治を迎えた。
藩が20万石へ上がったのは1808(文化5)年。利敬の代だった。北方警備の功労が大きかったが、領地は変わらず石高だけが上がり、実質は厳しい状況に置かれた。展示品の「南部利済宛領知(地)安堵状」は1839(天保10)年。将軍が交代してから出されるのが習わしのためで、将軍家家慶から発信された。
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【写真】南部家定紋散陣羽織
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利敬は幼くして襲世したが、年月がたつにつれて政治力を発揮するようになった。城下町を1755年、23丁から28丁に整備している。利敬ゆかりの展示としては、所用と伝えられる扇「末広」、自筆の「衣通姫(そとおりひめ)」の絵など。「衣通姫」は36歌仙の一人で、柿本人麻呂、山部赤人も描いている。狩野派の画風で相当の腕前だった。
利剛の正室、明子姫の関連は、目を引くものが多い。黒漆笛「田鶴子」は1857(安政4)年に嫁いだときに持参した水戸菱紋付きのもの。高蒔(まき)絵の筒2本が付いている。村梨子鉄線唐草葵紋散食籠(むらなしじてっせんからくさあおいもんちらしおもえおんじきろう)、犬張子、和歌の遺墨などが紹介されている。
南部家定紋散陣羽織は紺の絹地に金糸で家紋の向鶴、武田菱、花菱、松笠、九曜を紋様として散らし、袖口にフリルが付いている。幕末の家老楢山佐渡の肖像画で羽織っているのが、この陣羽織と似ているという。
1807〜1841(天保12)年に作成されたとみられる南部領内図は、八戸藩の九戸郡が抜かれて作られている。伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」の影響を受けて作成されたとみられ、下北半島などの海岸線がかなり正確に描かれている。兄弟図と言われる1841年の絵図では九戸郡が記載されており興味深い。
今展では約50点を展示。11月23日まで開かれている。
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