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わらべ歌「通りゃんせ」の歌詞は次の通りである。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちぃっと通して 下しゃんせ
ご用のない者 通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ
この歌の発祥地についてはいくつかの説があるけれども、史実はひとつしかない。
天神様に参詣するにしては、妙にいかめしい雰囲気が漂っているところから、その近くには関所が設けられているのであろう。
「ご用のない者」とは「手形のない者」を意味する。江戸時代、関所の近くに位置する天神様として知られているのは、国府津のそれである。すなわち、小田原市国府津の菅原神社である。
江戸時代、軍事・警察上の目的から設けられていた関所のうち、箱根のそれは名高い。箱根の関所の場合、通常の往来手形のほか、箱根関所あての手形を持たないと、通行が許されなかった。
とりわけ、江戸から地方へでる女(江戸居住の大名女家族など)の取り締まりは厳重を極めた。
「この子の七つのお祝いに」とは、女子が7歳を迎えて初めて帯をする帯解の祝いを意味しているとみられる。
天神様のおかげで無事帯解がなされたので、以前いただいたお札を納めに参詣する訳である。
関所手形は庶民の場合、藩主または名主が発行した。それがあれば、明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)まで、関所を通ることができた。
それなのに「帰りはこわい」とは、どういうことであろうか。
菅原神社には古来、1月25日の初天神と12月25日の納め天神がある。「通りゃんせ」の場合、12月25日のことである。
この日は天神様の縁日中、最後の日として参拝客が多かった。
箱根峠は東海道随一の難所として知られてきた。関所手形を携行すれば関所を通れるものの、何しろ昼なお暗い箱根路である。
うっかり、帰りが夕暮れ近くになると、「帰りはこわい」ことになる。不案内な脇道にそれると、一層危険である。
道中、乗り物(かごやウマ)に乗るには莫大(ばくだい)な費用を要するゆえ、庶民はもっぱら徒歩であった。
険しい山路を歩く旅人を狙う雲助(交通労働者)やゴマのハエ(押し売り)も出没した。
帯解は元来、男女とも、9歳で行った。後には男子は5歳、女子は7歳の年の1月に行うようになった。いずれ、納め天神の12月25日、日の没するのは早い。大正10年(1921)、「通りゃんせ」を発表した本居長世の気遣いが漂ってくる。
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