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盛岡市本宮の市遺跡の学び館では31日まで、第1回企画展「陸奥国最前線−志波城と北の蝦夷(えみし)たち」が開かれている。同市の国史跡志波城が造営された803年(延暦22年)ごろから10世紀にかけての出土品などを展示。城柵造営の影響や律令制度下ながら中央直轄から地方有力者の間接支配へと変化した中での蝦夷の動向を考古学の観点から紹介している。
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【写真】約110点の資料を展示している遺跡の学び館第1回企画展
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志波城は陸奥国最北端の城柵で、土地の蝦夷を律令国家内に組み入れた最前線に位置した。しかし、それまでの拡大政策から縮小政策に転換され、その後の徳丹城を含め、短命に終わり、胆沢城が広範囲に管轄するようになっていく。
城柵の直接支配から離れた遠隔地では、蝦夷の血筋の有力者が各地域を統治していたとみられている。そういう地方有力者の間では勢力伸長の衝突があり、ほかを引き込んでいった有力者が10世紀後半には次第に力を付け、11世紀以降、安倍氏や清原・藤原氏といった強大な有力者が地域を統治するようになっていった。
今展では同館所蔵品のほか、水沢市や矢巾町、浄法寺町、県などの所蔵する埋蔵文化財資料など約110点を紹介。資料は城柵の時代、蝦夷の暮らし、城柵の衰退の観点で展示されている。
城柵の時代では、志波城跡、胆沢城跡、徳丹城跡の出土品を展示。「酒所」「斯波(しわ)」などと書かれた墨書土器の出土は共通する特徴だ。志波城跡は円面硯、鉄製品など、徳丹城跡では施釉丸瓦、漆パレット、木製の曲げ物など、胆沢城跡では漆紙文書、木簡などが紹介されている。志波城周辺の乙部方八丁遺跡、堰根遺跡、薬師社脇遺跡の出土土器も墨書や刻書のものが出ている。
蝦夷の暮らしとしては、鉄の豊富さが上げられる。宮古市の島田K遺跡からは10世紀前半の錫杖(しゃくじょう)状鉄製品、鉄鐸、鉄鉗、盛岡市の堰根遺跡からは9世紀後半の鋤先、銛、目釘式手鎌、浄法寺町のコアスカ館遺跡からは10世紀後半の鐙、西根町の子飼沢山遺跡からは10世紀後半の刀子が出品されている。食糧事情を知る面では堰根遺跡から今年の調査で出土した9世紀後半の炭化穀物などが展示されている。
城柵の衰退の面では、直接支配から離れ混とんとした地域社会になっていったと考えられている。10世紀の遺跡では壕を巡らせた環壕集落や高地性集落といった防御性集落が存在し、部族間の争いがあったとみられている。
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