2004年 10月 8日 (金)        

■  宮古街道に義経伝説 横軸連携交流会が川井村探訪会

 特定非営利活動法人秋田岩手横軸連携交流会(清水浩志郎理事長)は6日、国道106号の原型となる旧宮古街道の面影を川井村内で探訪した。同交流会は国土交通省三陸国道事務所が今年発刊した資料集「宮古街道 五十集(いさば)の道」を編集制作。宮古市で開かれた記念フォーラムで10月6日を宮古街道106の日と位置付け、関連活動を展開することが提案、採択された。今回の街道探訪ウオーキングは具体化した初の事業で、会員のほか宮古市などから30人弱が参加。義経北行伝説の伝承地を中心に回った。

早坂一里塚。両端の土盛りが塚跡
【写真】早坂一里塚。両端の土盛りが塚跡

 盛岡と宮古を結んだ旧宮古街道。北上高地を横断するルートには開拓の苦労、通行の厳しさがあったが、物資輸送の重要ルートだった。今回の探訪ウオーキングは、川井村職員の内舘勝則さんが案内を務め、川井村の東西のほぼ中央から東寄りとなる川内、鈴久名、箱石の辺りを回った。地域には早坂の一里塚、判官神社、鈴ケ(すずか)神社、亀岡の滝などがある。

 川内から下川井間はほとんど106号上を通っているため、旧街道の面影は失われているが、川内や箱石には馬継所が所在した集落があった。鈴久名は南西部に高槍山をはじめ1000メートル級の尾根が連なり、川沿いに街道が通る。難所が多かった川井村だが、真木というところは特に難所だったという。箱石は宿駅として発達した。

 判官神社は今ウオークのメーンとなる源義経北行伝説の伝えられる神社。別当の山名光高さんの先祖は源氏の子孫と言われている。箱石の山名家の家の裏山にあり、平泉を脱出した義経主従がしばらくこの辺りに滞在し、鞍馬寺の毘沙門天を奉祀したと伝承される。祭神は義経で、かつては判官権現と呼ばれていた。義経と北の方の木像を安置。一帯を判官山と呼んでいる。

 鈴ケ神社は静御前から変容したと取れる名称。鈴久名地区の小山の頂上にある。低地の鳥居をくぐり、つづら折りの坂道を登り切ると、岩がむき出しの場所に立つアカマツに囲まれ、社がある。静御前を祭り、静御前の屋敷もあったとの伝説がある。鈴久名川を上流にたどっていくと横沢冷泉があり、義経が傷を癒やしたと伝えられている。

 早坂の一里塚は早坂と鈴久名の間にある。山の中にあるため道が細く、道の両側の塚が近い。残存状態も悪くはなく、村では文化財指定を検討しているという。

 同交流会の伊藤牧子理事(宮古)は「記念フォーラムの際、106号を生活の中にもっと位置付けられるようにと提案があって、探訪することになった。きょうをきっかけに、時々皆さんの足で歩いて歴史を振り返り、ルーツを考え、未来につながるようにしていきたい」と継続への意向を示していた。


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