|
 |
|
|
【写真】ほぼ完全な形で出土した注口土器と赤い石さじ
|
|
|
|
|
盛岡市本宮で進められている本宮熊堂A遺跡の第26次発掘調査は15日に終了する予定。7日、現地公開が行われた。同遺跡は縄文時代晩期(約2300年前)の集落跡。盛南開発事業に伴い発掘が進められ、今次は1896平方bを対象に7月5日から始められた。簡素な住居が多いことから、定住型ではなく簡易的に一時期住んでいた集落である可能性が高い。
縄文晩期の市内の集落としては手代森遺跡や湯壷遺跡が挙げられる。縄文時代は丘陵地など周囲より高い位置に形成されるのがほとんどだが、熊堂A遺跡は低地にあったことが特徴。雫石川右岸の河岸段丘に位置する標高123b前後で、北から南に向かって緩やかに低くなり、南端で急激に上がっていく沢状の地形をしている。南側の一段高くなったところには平安時代の集落だった本宮熊堂B遺跡がある。
今次の発掘では、縄文時代晩期の竪穴住居跡5棟、住まいではないが穴の掘られた竪穴状遺構3棟、土坑7基などが検出された。
竪穴住居跡は煙道を伴わない、地面を石で囲んだ炉が設けられている。かまどとしてではなく、暖や明かりを取るために火をたいたと推測される。ほかに地床(じしょう)炉や土器埋設炉が見られる。壁ははっきりせず、床も人が住んでいれば踏み固められる様子も見られなかった。
竪穴状遺構は炉がないものの土器などが多量に出土した遺構で、底にわざと穴を開けている使用済み土器があるほか、意図的に入れ子状に重ねていた状態のものもあった。調査員の須原拓さんは「何らかの意味を持って捨てたと考えられる」と話している。
出土遺物としては、同遺跡では前回までに遮光器土偶も見つかっているが、ほぼ完全な形で注口土器とよばれる急須に似た土器が出土した。祭りごとに使われたと考えられる。指先ほどの大きさの耳栓型耳飾りや、ミニチュア土器、石製装飾品などが見つかった。石器ではこの辺りのものではない赤い石を用いた石さじが出ている。
今回の調査で遺跡全体の約8割が完了する。竪穴住居跡の簡易な造りなどから、須原さんはどこかに定住する途中で過渡的に住んだ集落とも考えられると説明する。低地での縄文晩期遺跡は市内でははここだけだが、全国的には同期の遺跡が調査されており、集落の移動と平安時代への移行期とが関係している可能性がある。
弥生時代の遺物も出土しているが、熊堂B遺跡の住民が捨てたと考えられる。
|