2004年 10月 26日 (火)        

■  旧町名は生きている 高橋克彦氏と斎藤純氏が公開対談

 第3回盛岡旧町名復活・井戸端会議(文化地層研究会主催)が23日、盛岡市中ノ橋通のプラザおでってで開かれ、作家の高橋克彦さんと斎藤純さんが登壇。「旧町名は生きている」をテーマに斎藤さんが聞き手に回って対談が行われた。後世に残すべき町名の選び方や今の盛岡の町の様子などについて率直に意見を出し合った。一般市民ら120人が参加した。

「旧町名は生きている」をテーマに行われた高橋克彦さん(右)、斎藤純さんの対談
【写真】「旧町名は生きている」をテーマに行われた高橋克彦さん(右)、斎藤純さんの対談

 高橋さんはまず「緋い記憶」を書く動機を語った。「京都を旅していたとき道に迷い、山奥の1軒の寂しそうな家を見つけた。そこにはおばあさんが1人だけ。南北朝時代の歴史のある場所を誇りに思い1人で生きていた」と言う。

 その後、盛岡に戻った高橋さんは「あのおばあちゃんのような気持ちになれるのかと思い、昭和30年代の自分の子供時代の盛岡を舞台にした連作を考えた。そのとき当時の盛岡の地図や古本などを探し歩いた」という。それが旧地名に関心を持つきっかけだった。

 高橋さんは幼稚園から高校まで菜園で暮らした。「川徳の裏あたりに住んでいた。昔は老松町と言われた。菜園から大通付近は鶴舞町、亀楽町、高砂町と旧町名がある。菜園は城内の野菜畑。どうも町名の付け方は適当のようだ」。

 「京都の地名には上る、下るなどがあり町名も基本的には何百年も変わらない。札幌もそうだ。将来を見通して名前を付けている」「中央通などセンスのない地名。町名の切り替えには大賛成だがどこまでさかのぼるのか。ある年代で区切れば新たな問題も出る。安易に昔の名前に戻すことも混乱。本当に考える必要がある」と話す。

 「鉈屋町はここの所有の地の名前。果たして復活する意味はあるのか。三戸町は南部藩の関係者が移り住み歴史がある地名。盛岡の歴史を良く考えて選択する必要がある。地名には歴史があり、その歴史を子供の時代から教えることも」と話した。

 「おでってのある中ノ橋通は呉服町で隣は六日町。江戸時代に市が出ていた。六日町を復活したら当然市も」と思う。

 今の盛岡市内中心部は「菜園の家から大通の丸藤の脇を行き、いんべクリーニングを曲がり長町の岩手高校まで通った。大人の町を感じた。今の通りには何の面白みも感じない。通りの両側に店が建ち並ぶが、今のにぎわいは逆にさびれを感じる」と不満。

 同会では第1回会議来場者(113人)にアンケート。旧町名を残すことに賛成の回答で一番多いのが30代。斎藤さんは「ノスタルジーではない。旧町名の復活はおじいちゃんの話を聞くこと。コミュニティー再生になる。おろそかにしていたことなどを見直し語りつぐこと」と話した。


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