2004年 11月 1日 (月)        

■  〈いわて鉄道物語〉16 大内豊 「道から軌道へ」

 ■『未知・道』の変遷

 「道」は歩くものの通路であった。小道、小径、小路であった。人の歩く路、人が歩く時代は道路の幅は人の肩幅程度で良かった。人は馬や牛を引き、人力から馬や牛の背に人が乗り、また人と荷物を積むことを知った。

 人物の往来・物流が始まって馬や牛を利用し、車などで荷物を運搬することに知恵を出し、『馬方や牛方』としての道の利用が始まった。寒冷積雪地帯では冬の交通として「馬そり」を考案し、湖沼、河川、沿岸では「渡し船」などを交通として利用するようになった。

 道は車両の通れるような道路状態ではなかったが、交通往来の増加によって「ぬかる道」といった表現が使われるようになった。

 「道路」は人が荷車を引いて道を通るようになってから道の拡幅を考えた。その後、馬や牛に荷物を引かせる技術が発達した。馬車や牛車などが発達して、人や荷物を運搬するようになる。

 物流が盛んになってそれを業とするものが現れ、「悪路」という言葉が使われるようになり、道幅の改良や河川に橋を架けることの工夫や研究が行われた。

 やがて人や荷物の運搬を「有料」で行うことの「営業行為」が始められる。道路の改良に向けた「出資金」のねん出や改良工事に伴う「官庁への届け出と許認可」などが始まった。

 「軌道」は荷車を引いて通る道から「車両」の通れる道に改良されてきた。「牽引(けんいん)」は人・馬・牛などに始まり、人〓馬の供用、それから「蒸気車」などが開発されて「動力車」が登場する。

 道路の拡幅やこう配の改良、橋りょうやトンネルなどの建設が盛んになっていく。道路の中に「軌道」を敷設して、車両を運行する営業が行われる。運行本数を増やし、事故の発生を経験して運転規則が定められ、信号機やホーム、待合室などが設置される。

 運賃が定められ、営業規則などの規則が定められる。運転事故や営業事故が発生し、その対策や技術の改良やサービスの改善策などが図られる。不正乗車をするものが出てきてその取り締まりが必要になった。構内営業「弁当屋」や「貸し座布団屋」などの事業が始まった。(大内豊)


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