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■明治以前日本土木史
社団法人土木学会によって、昭和11年6月25日発刊された「明治以前日本土木史」は、第4編「道路・橋梁・渡場・関所編」の総説の中で、道路についての次のように述べている。
「道路の発達は、経済と密接な関係あり。従って、道路史としては其の時代の経済の状態、其他時代の特色を理解し、且つ之を併せ述ぶるに非らざれば完全なるものといふを得ず。例えば我国古代の道路は、国内統一の為軍事用として発達し、ついで中央政府の地方への命令伝達の為めに使用せられ、且つ用調を運ぶべき貢道として発達し来れるものなり。
更に、戦国時代を経て江戸時代に入るに及びて、次第に国内の秩序も定まり、茲に道路は一般交通用として、将来産業開発として発達を見るに至り、遂に今日においては自動車の発明と共に、殆ど一国を挙げて之を都市化せしむる程の発達をなせり。」
『交通概論』の中では「太古の詳細はわからないが、元来我が交通は海より開け、水陸交渉の便なる地を点綴して所在に幾多の聚落を造り、以って内地に及びしものの如し」「其の如く皇化西南に興りて、東北に漸むに従い、政化の及ぶ処、また道路交通の開けたるを思うべきなり」と述べている。
このように、山陽、瀬戸内地方から発達して、次第に東北地方などの内国交通が発達した。
わが国の駅制は、中央・地方の間に官用の通信交通の必要が生じ、駅処の制度が漸次発達した。「道路交通」の編の「駅伝・宿駅」では、わが国の駅制は「大化の改新に際し創設せられたるが如し」と述べている。「されど駅にちなむ文字は大化の改新以前既に記、紀に散見するところなり」、とある。
大化の新政府は上古以来の氏族制度を廃し、中央集権制度施行の成功と共に律令を編さん制定するなどして施行した。日本書記によれば、駅制の萌芽(ほうが)は欽明天皇の代のころからという。それから徐々に発達して至ったという。(大内豊)
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