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先月23日に発生した新潟県中越地震の発生から2週間が過ぎた。県内からも救援物資の送付や医療隊の派遣など、さまざまな分野で支援活動が展開されている。しかし、被災地では以前として5万人を超える人が避難生活を余儀なくされ、余震の不安にさいなまれている。地震直後に震源に近い長岡市で、給水支援活動にあたった盛岡市水道部給水課の佐々木弘司さん(41)に現地の様子を聞いた。
「阪神大震災や軽米町の水害の時も被災地で給水活動に当たりましたが、今回もかなり大変な状況です」。佐々木さんら盛岡市水道部の職員4人を含む県内5市町の職員12人は、給水支援の第一次隊として4トン給水タンク車5台と共に先月24日午後、長岡市へ向けて出発。同28日まで避難所になっている学校や保育所、病院などで応急給水を続けた。
当時、高速道路は途中から一般車両が通行止め。緊急車両のみが通行を許可され先に進んだものの、停電で辺りは真っ暗だった。市内中心部の建物は一見大きな被害がないように見えるが、内部は家具が倒れたりガラスが割れたりしてひどい状況。大きな亀裂や段差が生じた道路、橋。山沿いでは地盤が弱かったのか壊滅的な状況になっている住宅地もある。日中、自宅に戻る住民も夜になると避難所へ。改めて被害の大きさを実感した。
佐々木さんらは災害対策本部の指揮の下、25日朝から給水作業を開始。初日は避難所にあてられた小中学校の入り口付近で当面の生活用水を配った。
急な災害で適当な容器を持ち合わせていない人も多く、ここで盛岡から千個持参した5リットル入りの給水パックが活躍。「わざわざ遠くからごくろうさまです」。水を受け取る被災者から逆にねぎらいの言葉をかけられ頭が下がった。
給水用の仮設タンクを組み立て始めると、激しい雨にもかかわらず地元の消防団員らが率先して手を貸してくれる。自ら被災しながらも人のために働ける強さ、優しさ。「自分たちの力で何とか頑張ろう」という心意気に感動した。
27日、震度6弱の余震の恐怖も体験した。この日はリハビリセンターを併設した悠遊健康村病院の給水タンクに、浄水場から水をピストン輸送する作業に従事していた。
ポンプでタンクに水を入れていると、いきなり強い縦揺れ。ストロークの早い振動に襲われた。施設でリハビリに励んでいた患者たちが悲鳴を上げて避難。この大きな余震で病院の給食配送用のエレベーターは動かなくなった。
「最初の地震の恐怖を味わってますから。余計敏感なんだと思います」。逃げまどう地元の人たちを目の当たりにすると「怖さ」が増幅する。滞在期間中、1日20〜30回は常に足の裏で揺れを感じていた。
長岡市に到着したばかりのころは、コンビニエンスストアに行っても、ほとんど物はなく、わずかに並べられる、おにぎりやサンドイッチの到着を待って長蛇の列ができていた。市内で開いていたガソリンスタンドも1軒だけ。数日が経過し食料は行き渡ってきているように見えたが「生野菜や温かいものを食べたい」という声をよく聞いた。日々、必要な支援は変わっている。
「支援に行って、むしろ人の良さ、人のありがたみを感じた」という佐々木さん。「現地はとても1カ月や2カ月で復興できるような状況ではありません。今後、仮設住宅の建設が進むと、さらに家族や個人の生活用品が必要になる。そういった面でもまだまだ支援は必要だと思います」と力を込めた。
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