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■青い縞の農民シャツ
およそ200年を越す歳月の「空気のなかの酸素や炭酸瓦斯」によって「どれくらゐの風化が行はれ/どんな植物が生えたか」に関心をもって訪れた賢治は、溶岩塊に生えている白と緑の2種のスギゴケを深い感銘をもって注視しました。
その「白つぽい厚いすぎごけ」は明らかにシモフリゴケと検索できそうですが、緑色の方はハリスギゴケかタカネスギゴケという印象を持つのですがどうでしょう。
賢治の見た大正12年ごろの焼走り溶岩流というものは「空気も深い淵になつてゐて」「一ぴきの鳥さへも見えない」「ごく強力な鬼神たちの棲みか」で、わずかに生気を感じさせるものは溶岩を彩っている「恐ろしい二種の苔」だけでした。
それから81年後の風景は風化がさらに進み、高橋喜平氏の写真集『岩手山焼走り熔岩流』に見られるように、松や柏の幼木や・ハクサンシャクナゲ・ミネヤナギ・ノリウツギ・カマツカ・レンゲツツジ・ナナカマド・ヤナギラン・イタドリなどの植生が芽生え、「強力な鬼神たちの棲みか」の蒼(あお)ざめた風景に、なにか明るい情調をもたらしているのです。
この日の賢治の身なりはゴムのダルマ靴、しま模様のシャツに古着の陣羽織を仕立て直したという鹿革のジャンバー姿だったのではないか。(この有名な服装は2カ月後の13年1月12日に写真撮影しています)そして黒いラシャの帽子に白い雑嚢(ざつのう)を下げて手帳とシャープペンシルを携帯したものでしょう。
「ひるの食事をもたない」とあるから雑嚢には赤いリンゴを1個だけしのばせていたものか。やはり空腹感からでしょう。賢治は円形溶岩に厚く生えたシモフリゴケの「表面がかさかさに乾いてゐる」状態からパンを幻想したのでした。灰色の地衣類ハナゴケに腰を下ろし「うるうるしながら」リンゴにかぶりついたのでしょう。
岩手山頂の雪を越えてくる風に、せわしなく揺れる白樺の美しい紅葉を見下ろしながら、姫神山から南に連なる北上山地の山々に遠い目をやりました。
まるで賢治が着ているしま模様の「リンネルの農民シャツ」のように、「ほのかな幾層もの青い縞を」つくっているのでした。この「青い農民シャツ」の感慨は、「春と修羅」第2集を貫通し、さらに第3集の世界への移行をも暗示する発想とみられるのです。
■詩篇「鎔岩流」よりの抜粋
その白つぽい厚いすぎごけの
表面がかさかさに乾いてゐるので
わたくしはまた麺麭ともかんがへ
ちやうどひるの食事をもたないとこから
ひじやうな饗応ともかんずるのだが
(なぜならたべものといふものは
それをみてよろこぶもので
それからあとはたべるものだから)
ここらでそんなかんがへは
あんまり僣越かもしれない
とにかくわたくしは荷物をおろし
灰いろの苔に靴やからだを埋め
一つの赤い苹果をたべる
うるうるしながら苹果に噛みつけば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
野はらの白樺の葉は紅や金やせはしくゆすれ
北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる
(あれはぼくのしやつだ
青いリンネルの農民のシャツだ)
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