2004年 12月 03日 (金)        

■  アテネ・パラリンピック銀メダリストの大井さんが講演

 アテネ・パラリンピックの陸上円盤投げで銀メダルに輝いた大井利江さん(種市町)が11月30日、盛岡市で講演した。同市三本柳のふれあいランド岩手が開館10周年を記念して開いたふれあいスポーツフォーラムの中で行われた。パラリンピックや前後の思い出、円盤投げと出合うまでのことなどをジョークを交え語った。

講演する大井利江さん
【写真】講演する大井利江さん

 大井さんは1948年、種市町で生まれ、漁師をしていたが、89年の出漁中の事故で頚椎(けいつい)損傷を負い首から下が完全まひとなった。3年後に退院し、身体障害者スポーツ大会を見学したことがきっかけで障害と向き合いリハビリを兼ね水泳を始めた。その後、水泳でも大会で好成績を収めていたが、98年、勧められて始めた陸上の投てきで頭角を現した。

 国際大会での優勝、世界記録樹立などの成績を上げ、今年のパラリンピック円盤投げで、直前の出場クラス変更にもかかわらず25・03メートルの自己記録更新で銀メダルに輝いた。

 大井さんは「昨年、ニュージーランドでの世界車いす競技大会では、20・05メートルの世界記録で優勝し、アテネは金とプレッシャーを掛けられ、今年はジャパンパラリンピック大阪大会で23・76メートルの世界記録を出し金は確実と言われ、またプレッシャーになった。考えたら投げられないのでプレッシャーを一切考えないように練習に励んだ」という。

 アテネの選手村に入ってから「大井包囲網が作られてプロテクトに掛けられ何回も投げさせられた。F2からF3の軽いクラスになった。4メートルぐらい投げるのが違ったが、そのクラスに選ばれたのは光栄と思った」とプラス志向に。

 「スタジアムに入って人の多さに圧倒された。一番最初の国際大会は緊張で何をやっているのか分からなかったが、今回は挑戦者という気持ちだったので全然プレッシャーがなくできたと、あとになって思った。まさか25メートルを投げられるとは思わなかった」という。本番では重圧を感じなかった。

 縁起担ぎは高校時代から必ず靴は左から履くことだが、「妊婦と葬式を見ると力がわいてくる」という。羽田での結団式、壮行式では五輪選手だった橋本聖子参院議員も出席。「橋本さんはお腹が大きく、お願いしてお腹に触らせてもらった。そのパワーのおかげて25メートルを投げられたのかもしれない。今度、会ってお礼したい」と話し、会場を沸かせた。

 大事故に遭ったあと大井さんは「これで終わりかなと思って、頭の中が真っ白になった。船頭をやって七つの海を漁して回ろうという夢があったので、毎日肩を落として何しようかと考えていた」。もともと野球少年で、プロ野球選手を夢見ていた大井さんは再びスポーツと歩む人生を見つけた。「スポーツや友達と出合っていなかったら、まだ家で肩を落としていたかもしれない」と話した。


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