2004年 12月 06日 (月)        

■  〈グラフ〉「絵葉書にみる明治〜昭和初期の盛岡」 市中央公民館で企画展

豪華な写真帳に掲載されている当時の石割桜
【写真】豪華な写真帳に掲載されている当時の石割桜

 盛岡市中央公民館(高橋清明館長)の第5回企画展「絵葉書にみる明治〜昭和初期の盛岡」が2日から、郷土資料展示室で開催されている。当時の街並みや行事、災害状況などを伝えるために発行した絵はがきや建物の写真帳などが展示されている。

 明治維新から日清・日露戦争、災害から復興へと変ぼうを遂げる盛岡の姿を市民から寄贈された絵はがきや写真アルバム、市街図、文書などの貴重な資料で紹介している。

 絵はがきは池野了介、吉田弧羊、松尾茂雄、雫石達氏ら県内外から寄贈された636枚のうち、年代の分かる173枚が展示されている。

写真帳に掲載されている当時の夕顔瀬橋
【写真】写真帳に掲載されている当時の夕顔瀬橋

 内容は盛岡八景と名勝(江戸時代から〜昭和初期)、盛岡の消防組の結成(明治10年)、岩手公園の開園(明治39年)、南部利祥伯爵銅像の除幕(明治41年)、中津川の大洪水(明治43年)、陸軍部隊の駐屯(明治41年、42年)と岩手陸軍特別大演習(昭和3年)、南部家別邸(明治41年)と盛岡市中央公民館(昭和55年)、盛岡市街の図(明治)、盛岡城図(江戸)、盛岡市街大洪水罹災図(明治)など。

 1910年(明治43年)9月3日の中津川大洪水では、数日間降り続いた雨で中津川に架かる上の橋、与の字橋、下の橋など全部の橋が流失した。中津川の最高水位は約3・6メートルに達し、死者1人、家屋の流失、半壊などの被害は当時の金額で71万1556円に及んだ。流失2分前に撮影した中の橋の生々しい写真もある。

 盛岡八景帖は、明治期に活躍した川口月嶺とその門人たちが描いたもの。当時、北上川の明治橋たもとには船橋が設けられ、現在も残る御蔵から宮城県の石巻まで穀物類を運んでいた北上川帰帆の山水画。

22日まで開催されている「絵葉書にみる明治〜昭和初期の盛岡」展
【写真】22日まで開催されている「絵葉書にみる明治〜昭和初期の盛岡」展

 岩手公園の本丸に今は台座を残すだけとなっている南部家42代当主、南部利祥が陸軍騎兵連隊の少佐として日露戦争へ出征していた戦地からの騎馬写真もある。

 豪華アルバムの中には石割桜や北上川に架かる木の夕顔瀬橋など盛岡の名勝地が紹介されている。

 見学に訪れた盛岡市加賀野3丁目、藤原恒弥さん(80)、静子さん(73)夫婦は「当時の写真を見ているときのうのような錯覚を覚えますね。懐かしさでいっぱいです。この公会堂は残してほしい」と、ほかの見学者と共通の話題で話が弾んでいた。

 矢巾町藤沢の川原信吉さん(72)は、バスとタクシーの運転手歴29年。市内の観光地は「高松の池や夜の岩山、わんこそばやさんは3人以上でないとだめなので観光客とわたしも一緒に食べました。当時は市内の1カ所に信号機が設けられてびっくりしたもんだ」と、懐かしい写真を見ながら話していた。

 同展を担当した似内啓邦学芸主査によると「当時は絵はがきが情報として発行されていました」という。

 同展は22日まで。


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