2004年 12月 09日 (木)        

■  〈オークランドの旅人〜賢治と滝沢村〉113 岡澤敏男 「携帯した地形図」

 ■賢治携帯の地形図

 前々回の連載した記事を見た佐藤幸男氏が、わたしが引用した「大正元年測図昭和十四年修正」(昭和22年印刷)版よりもっと古い地形図を所有しているとの連絡があって、披見させてもらったのは「大正元年測図同二年縮図」(大正5年1月25日印刷)版の地形図でした。これはまさしく賢治が携帯していたものと同一の地形図なのでしょう。

 さっそく「一本木原から焼走り溶岩流にかけての地形」を照合してみました。すると「大正二年縮図」版と「昭和十四年修正」版の両図とも、一本木原を斜めに幾本もひっかいたように走る点線記号(小道)はまったく一致していることが確認され、賢治と佐一が柳沢より溶岩流に向かって、すそ野を横断した小道もまた両図とも合致しているのです。

 もともとこの小道は藩政時代から近在村落の入会草地として草刈りのための道として利用されたもので、広大なすそ野に繁茂するハギ・ススキ・クズなどの野草を刈り取り、乾草して搬出した小道だったのでしょう。

 おそらく昭和32年に陸上自衛隊岩手駐屯地としてエンクローズされる直前まで、この点線記号は一本木原の地形を走っていたものと思われます。

 賢治と佐一は、大正14年5月10日から11日にかけて鞍掛山のふもとで野宿して翌日一本木原を横断し溶岩流に達する遠征プランをたて、盛岡駅を発ったのは午後6時50分でした。

 10日は日曜日なのになぜ夕方遅く出発したのか。それは次のような慶祝行事によるものかとみられます。

 5月10日は天皇皇后両陛下の銀婚式を記念した国民的奉祝の日だったのです。この日『岩手日報』は「奉祝銀婚式記念号」と銘うった企画記事で第1面から4面まで奉祝一色に組まれ、県内各市町村の行事内容を報じているなかで、花巻町では花巻グランドで官民合同奉祝会、学校生徒旗行列と提灯(ちょうちん)行列など挙行されるという記事がみられます。

 農学校教員である賢治も中学生の佐一も奉祝行事に関係して準備が遅れたものでしょう。特に賢治は花巻駅を午後5時15分に発ち盛岡駅には6時24分に着き6時50分発の橋場線に慌ただしく乗車したものとみられます。夜の小岩井農場を抜け鞍掛山のふもとに野宿しようとしましたがあまりの寒さに柳沢の小屋に逃避し、5月11日の朝を迎えました。月曜日でしたが、たぶん奉祝代休だったのでしょう。


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