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過日、煎茶道三彩流の彩名会創立50周年を記念する祝賀会が、盛岡で開かれ、祝典の冒頭盛岡喜桜会有志による「羽衣」が納められ、彩名会の歴史に花を添えた。
「羽衣」はご承知のように古くから「丹後風土記」など各地に伝わる伝説で、能では三番目物として優美に念を入れて演じられる。特に、美しい女性を主人公とする演目は、精天仙物と称され、めでたい席には何よりもの贈り物である。
シテはベテランの高橋千賀子さんがつとめ、大鼓と小鼓を伴った舞い囃しで行われた。曲(くせ)の部分からの所作で、前段の問答の場面がないだけに、人間を諭した後の、清純な天人の心の表現は難しく思われたが、舞の中に昇華された美しさが、厳粛なほど毅然と表現され素晴らしい舞台となった。
お二人の鼓も気品のある響きを伝え、天界と人間界の交差する神秘的な空間を取り持ち、しばしの時間を楽しませていただいた。
このように古くから、われわれの生活文化に密着した物語は多い。
「羽衣」が「桃太郎」「浦島太郎」などのように、唱歌として歌われていなかったかを調べてみた。ところが、明治22年文部省音楽取調掛(東京芸術大学)によって編さんされ、昭和の始めまで用いられた唱歌集にはなかった。
やっと昭和10年3月に改定された高等小学唱歌の中に、2学年の教材として出てくる。高等小学校といえば尋常科6年の後に続くので今の中学にあたり、青春前期多感な時代である。
教材の中には《波濤千里洋々と》で知られる「太平洋」や《夕霧籠めし草山に》の歌詞で知られる「月見草」などがあり、このころの情操を育むに適切な唱歌が網羅されている。
その中でも「羽衣」は、男女それぞれの独唱と合唱によって構成された大曲である。当時のレベルからいうと、残念ながら教えてもらえた方は少なかったろうと思われる。
曲はト長調4/4拍子で上拍の単純な終止形和音の前奏によって始まる。
2部合唱
美保の松原うらうらと
日は晴れ渡る空の上
天津乙女の舞の袖
あざやかにこそ見えにけれ
4小節の間奏(途中で
ト短調に転じ事件を暗
示する)
天女独唱
あら! かなしや?
松の枝の羽衣失せて
帰る術(すべ)なき
雲の通ひ路
8小節の間奏(ト長調
に復し、細かなリズム
に乗り元気良く漁師登
場)
2部合唱
得たりと拾ふ 濱の漁師
持ち帰りてぞ 寳にせむと
(再びト短調に転じ)
天女独唱
衣無くては
如何にして
雲居の果てに
帰るべき
疾(と)く疾く返せ
人間に着る用もなき羽衣を
漁師独唱
返せとやさて、返せとや
いとを(惜)しけれど
さらば返さむ
天人も心しあらば
更に一差し
舞ひても見せよ
4小節の間奏(ト長調
に復し、明るく和やか
に合唱に導く)
合唱
舞ふや
霓裳羽衣(げいしょううい)の曲
見る 見る
影は遠ざかり
後に残れる富士の山
うららかにこそ
浮かびけれ
曲はポコ・リタルダンドし、余韻を残してフェルマータに終わる。誠に美しい動画である。このような音楽をオラトリオと言う。神事劇とも訳されるが小さいながらまさにその通りの音楽である。
戦中の疎開がご縁で、岩手の音楽教育に功労のあった元東京音楽学校教授沢崎定之先生は、終戦直後の音楽指導の講習会にこの曲を用いられた。
助手を務め伴奏を受け持つ千葉了道氏に「それでは幕が上がりません!」と、2小節だけの前奏に厳しい注文を付けておられた。
また譜面に付けられた歌詞は文語体旧仮名使い、しかもその上に片仮名であったので「舞ふや(マフヤ)霓裳羽衣の曲」の個所は「もおーや」と発音を矯正されたり、「返せとやさて」の個所では、歌舞伎などの押し問答を引き合いに出され、「さてさて、いーやさーてー、さーてー、さて、さて、さて、さてー」とそこに柝(き)が入りツケが打たれ、「引っ張りの見栄」となる場面などが想像できて、とても楽しいご指導であった。
この曲は文部省唱歌となっているが、沢崎先生の言によれば信時潔先生の作品とのことである。
「羽衣」はこのほか、長唄・一中節・常磐津などの題材となり、舞踊や演奏に取り入れられ演じられる。また鶴の恩返しや白鳥伝説などに変化し、趣を変えてオペラなどにも創作されているが、それはあまりにも人間くさい。
一段物で「羽衣」ほど端的に絵になる出し物はない。
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