2005年 1月 8日 (土)        

■  〈盛岡百景〉3 飢饉の歴史を教える 「明治橋の御蔵」

 明治橋を仙北町方面から渡っていくと北上川下流のコンクリート護岸越しに鮮やかな白壁の土蔵が目に入る。明治橋際の御蔵(おくら)と呼ばれる盛岡市保存建造物、同有形文化財。この地は新山河岸(しんざんがし)と言われ御番所や船宿、御蔵などが立ち並び、舟運の要衝として藩政時代に栄えた。

 御蔵は藩政時代の建築とされ、往時を語り継ぐ貴重な建造物だ。市内としても藩政時代の面影を伝える数少ない建物。しかし、消失の危機がなかったわけではない。民間所有のころ解体計画が浮上。地元住民からの要望もあり1983年に市が取得した。もし、市の英断がなければ、今日、目にすることも、盛岡百景に選ばれることもなかっただろう。

 土蔵造り平屋建て。建物の長さは約30メートルにも及ぶ。1783(天明3)年と1833(天保4)年の大飢饉(ききん)を踏まえ、盛岡藩は城下に備荒倉囲穀のお布令を出した。備穀奨励で何カ所かにあった備蓄庫が1856(安政3)年、この御蔵に集約されたと言われている。

 城下町の面影としてばかりでなく、物が豊かな今日、飢饉がきっかけだった歴史を心にとめておきたい。

 市は保存のため改築し、92年から下町史料館として地域の御蔵管理委員会(小原忠志会長)の管理運営によって資料収集や一般公開をしている。11〜翌4月は第4日曜、5〜10月は第2、3、4日曜の午前9〜午後4時に開館している。入場無料。同市南大通3の12の30。(井上忠晴記者)


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