2005年 1月 8日 (土)        

■  〈いわて鉄道物語〉61 大内豊 「日本鉄道株式会社が発足」

 ■日本鉄道株式会社の創業

 1881年、明治14年に「日本鉄道株式会社」が発足した。今から、124年前に、日本で最初の私設鉄道会社が発足した。日本鉄道会社は、明治天皇の信頼が厚かった岩倉具視の音頭とりで誕生した。岩倉公は、次のようなあいさつをしている。『われわれは、明治維新を行ったが、日本鉄道会社を設立するのは第二の維新である』と言って一同を励ました。

 出席者は、蜂須賀茂昭、伊達宗徳、大久保利和、万里小路道房、武者小路実世、藤波言忠、安場保和、高崎正風、林賢特徳、太田黒惟信らで華士族の鉄道会社といえるものであった。

 1881年、明治14年5月21日、旧岡山藩主池田章政ほか461名が連署して日本鉄道株式会社の創立願書を政府に提出した。同年、8月11日に仮免許状が下付され、11月11日には工部卿佐々木高行より32条の特許条約書が交付され、資本金2千万円で発足した。14年12月6日、100株以上を有する株主中より、理事委員12名ないし8名を選挙し、理事委員会の互選により社長1名、副社長1名、検査委員3名を置くことにした。

 社長には、当時工部大輔、次官であった吉井友実が推された。理事委員には16名が推挙されたが、盛岡出身の大矢精助も推挙されている。同社発足は、上野〜前橋間および上野〜青森間に鉄道を建設して、「雇用の増大、国力の増強、北海の備えを固くすること」を目的としたものであった。明治17年、高崎線上野〜前橋間完成、明治18年、東北本線品川〜赤羽間完成、明治24年、東北本線上野〜青森間完成。急ピッチで日本鉄道株式会社による東北本線の工事が進められた。

 ■山陽鉄道株式会社の発足

 明治19年12月に神戸〜下関間の山陽鉄道建設の申請がなされている。当初、神戸・姫路間の収益の上がる区間のみの工事委託であったため、申請は却下された。

 再度の申請が許可されたのは、明治21年1月であった。同年4月資本金1300万円で山陽鉄道株式会社が設立され、中上川彦次郎を社長に選出した。東海道線を長男とすると、東北本線は次男、山陽本線は三男といえる。

 山陽鉄道株式会社の社長中上川彦次郎は、福沢諭吉のおいで、慶応仕込みの経営感覚で華々しいサービスを行いながらも経営は堅実であった。瀬戸内海を航行する船との競争であったことから、サービス満点の営業に心がけ、1893年、明治26年開通した。寝台車や食堂車は山陽鉄道がわが国で初めて導入した。

 明治36年播但鉄道、山陰線を買収、明治37年讃岐鉄道、四国を買収したが、明治39年3月、「鉄道国有法」が交付され、同年12月国鉄に買収された。(大内豊)


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