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1888年、明治21年3月、九州鉄道株式会社の免許状の下付が申請され、明治22年4月、政府がこれを認可した。当時、政府は東海道線の建設におおわらわで、九州などに技師を派遣するゆとりがなかったため、ドイツから技術者を招聘(しょうへい)し、自営で建設しなければならなかった。これで、わが国の鉄道は、英、米、独の影響を受けることになった。
4、鉄道官制の移り変わりなど
明治3年3月、鉄道建設始まる。民部省に「鉄道掛」が置かれた。
明治5年10月、鉄道掛は、工部省の管轄となる。工部省新設される。
明治4年8月、鉄道掛は、「鉄道寮」となる。寮とは役所のこと。最高責任者は「鉄道頭」。
明治10年1月、寮を廃止し、「局」を設けた。鉄道局長が鉄道の長官。
明治23年9月、鉄道局は「鉄道庁」と改称され、独立の鉄道庁長官と呼ばれた。
明治25年7月、鉄道庁は、「逓信省」の所管となる。
明治26年10月、鉄道庁が「鉄道局」と改められる。
明治30年8月、鉄道局は「行政官庁」となる。
明治40年4月、「帝国鉄道庁」となり、長官は「総裁」と呼ばれた。
明治41年12月、「鉄道国有法」が実施される。「鉄道院」として、逓信省から独立し、内閣総理大臣に属した。
大正9年5月、鉄道院が、「鉄道省」に昇格した。
昭和18年11月、「運輸通信省」になる。
昭和20年5月、外局にあたる通信院を分離して、「運輸省」を設立。
昭和24年6月、「公共企業体、日本国有鉄道」として発足。
昭和62年4月、国鉄の分割民営化、株式会社として再編され、「JR旅客会社6社、JR貨物」の発足。
5、国鉄が中心になって観光事業を起こした
「観光」という言葉がわが国で広く社会一般に用いられるようになったのは戦後のことである。戦前は、軍事用鉄道論が主であったが、その中ではあっても、国鉄が中心となって外人相手の観光事業を起こす計画が生まれていた。
ジェイ・ティー・ビー、つまりは、「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」という横文字公共機関を創設したのである。これが、今日の「日本交通公社」の前身にあたるが、その基礎は、国鉄が主体となって出資し、別組織で旅行業の展開が行われた。今日の旅行業界の草分けとなっているもので、当時の社長は国鉄出身者があてられていた。
(大内豊)
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