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■GHQによる「三公社五現業化」
私見ではあるが、明治44年ころの日本のとった「建主改従論」と、GHQ、アメリカ駐留軍による「公共企業体、日本国有鉄道発足」については異論がある。
まず建主改従論については、明治の後年から大正を経て、昭和の初めまで、鉄道路線の建設が「政治の材料にかく乱されて」、採算や将来性等を分析もせずに拡大されてきたこと。
岩手県出身の原敬首相も「建主改従論者」であったようで、山田線など、故郷へ鉄道を敷設することに熱心であったが、その後の支援についても当時の政治家は鉄道に理解が深かった。
鉄道建設・駅設置などが、政党の拡大や政党の利用等のエサにされ、「なべつる線」などは、その典型的な好個の例となっている。その前には、「軍用鉄道」として、日本帝国陸軍の意見が大きな影響力を持っていた。国策上などからそのような歴史を経てきているが、明治39年ころから後藤新平などによって、既に政府として「標準軌」の検討がなされて高速鉄道の構想が描かれていたことを考えると、新幹線の建設を実施するまでの間は、政府の言いなりになって経営がなおざりにされてきた空白の期間といえるのではなかろうか。
もう一つは、GHQの方針は「自動車」主の考えであったこと。国鉄が東海道新幹線の構想をぶち上げるころ、どちらかといえばGHQはアメリカ的な発想で新幹線には興味を示さなかったといわれている。アメリカでは鉄道は既に斜陽化し、「これからは、自動車の時代がくる」とした発想が強かった。
アメリカ方式が強く影響していた中で、国鉄の首脳陣が頑強に新幹線プロジェクトを推し進めていた。一時はわが国でも、鉄道は「斜陽産業だ」といわれていた時代があった。
もう一つは、GHQによる、「三公社五現業」に対する、労働基本権の付与に関する中で、「ストライキ権等」にかかわる取り扱い方について疑問を感じている。途中で、公務員および公社にかかわる労働基本権「スト権」は禁止されるなど変更されたが、実態としては戦後の労使関係が大きく揺らぐこととなった。
モータリゼーションなどの進展はあったものの、鉄道技術の研究の遅れや労使関係等の取り扱い方によって、鉄道の経営のあり方について問題を残したものと考えている。いろいろな見方もあろうが反省すべきものがあったと振り返っている。(大内豊)
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