2005年 2月 1日 (火)        

■  北上川の洪水と交通の歴史を語る 新春郷土文化講演会

 奥羽史談会と県文化財愛護協会は1月29日、新春郷土文化講演会を盛岡市中ノ橋通1丁目のプラザおでってで開いた。二人の講演を通じ、北上川をテーマに治水や交通の文化と歴史などに迫った。

  講師は岩手河川国道事務所の吉田桂治調査第1課長と同史談会の吉田義昭会長。それぞれ「北上川水系の歴史と現状」「北上川の交通文化史考」の演題で講演した。

  吉田課長は北上川が岩手県を南北に流れ、一関以降は狭さく部を抜け宮城県に入り、石巻市の旧北上川と北上町の北上川に河口が分かれるという概要を説明。流路延長は249キロで日本第5位、流域面積は10150平方メートルで日本4位という規模とともに200キロ連続で船下りできる特徴を紹介した。

  北上川の治水としては、一関地方の取り組みが第1に挙げられる。下流が狭さく部になること、河口まで約80キロの高低差が10メートルとこう配が小さいことが、洪水を起こしやすい原因という。

  過去の流域被害を示しながら、治水対策の歴史を説明した。近代改修の幕開けになるのは明治末から昭和初期にかけての新旧北上川の分派。これは宮城県北部、低平地の安全性向上を目的とした。

  1946年のカスリン台風、翌年のアイオン台風による大水害を契機に、一関では遊水地計画が動き出した。今日も続けられている。

  流域には歴史の舞台が数多く点在する。代表例は奥州藤原氏に関連したもので、近年、歴史環境の保存と治水事業の共存で話題になったのが柳之御所遺跡。97年に国史跡に指定されたことを受け、現国土交通省は遺跡をほぼ完全に回避するよう堤防の計画位置を川側に移動し、保存を実現している。


  このほか松尾鉱山鉱毒水の中和処理などの取り組みを説明した。

  吉田会長は近世から近代を中心に北上川の舟運について話した。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします