2005年 2月 1日 (火)        

■  〈わが歳時記〉高橋爾郎 2月

  岩手、特に盛岡地方では1月下旬から2月中旬ごろまで1番寒気が厳しい。それでも如月(きさらぎ)、節分(3日)、立春(4日)、雨水(18日)と聞けば、春近しの感じで心がなごむ。

  ぼくは祭りが好きだ。冬、2月の祭りといえば何といっても水沢山内の黒石寺の蘇民祭であろう。
  今年も旧正月7日、2月15日の夜から翌払暁にかけて展開される。今まで3回見た。いつ見ても、あのエネルギーに圧倒される。短歌も40首ぐらい作った。だがもう、今は行けない。何しろ徹夜の祭りだから翌日はくたくただ。

  境内に入ると、もう火焚(た)き登りが始まっている。薬師堂(本堂)の前に高々と井桁(いげた)に組み上げられた柴灯木(さいとぎ)が燃え上がり、もうもうと火煙が立っている。柴灯木とは直径40センチもある松の丸太だ。

  上半身裸の若者たちが火櫓(やぐら)の上に立って山内節を歌う。おりおり微塵(みじん)の火の粉が夜空に上る。角灯を片手にささげながら、揺らめく火の中に立って祈りの歌を唄う。

  そのたくましい裸身の群像、山中にこだまする祈りの声は、さながら原初の世界と思った。
  裸参りが始まる。近くの瑠璃壺(るりつぼ)川で身を清めた一団が角灯をかざし「ジョヤサ、ジョヤサ」と掛け声をかけ、裏山の妙見堂を目指して登ってゆく。その数100人ぐらい。白い衣と火の列がひしひしと続く。

  午前2時ごろ、別当登り。4時ごろ、鬼子登りだ。背負われた鬼子は7歳の男の子と決まっているという。さて、いよいよ蘇民袋の争奪戦だ。鬼子が焔(ほのお)を浴びて消える。水をまき火が消えて堂内は一面の白煙だ。

  どこからともなく蘇民袋が現れる。格子によじ登った親方が蘇民袋もろともに、ひしめく若者の渦に飛び込んでゆく。あっという間の出来事だ。あとはもう、めっちゃくちゃ、押し合いへし合い渦巻き流れ、格子にへばりついている若者が逆さになって次々と落ちてゆく。

  汗のにおいと酒のにおいと人いきれ、喚声ととうめきとうなりは底ごもり、薬師堂は今にも破裂せんばかりにふくらみ揺れる。

  もみ合うこと2時間ばかり。いつの間にか固く締めた若者のふんどしももぎ取られてすってんてんの素っ裸である。

  何の合図があったのか、あっという間に50人ぐらいの若者が石段をなだれて駆け下る。そして、さらに雪の野原で袋を争う。

  一団の肉体のかたまりからもうもうと湯気が立ちのぼり、右に左に移ってゆく。このエネルギーは何に例えたらよいだろう。白々と夜の明け始めるころ、壮絶な戦いは終わる。

  蘇民袋は麻で織られ、3升ぐらいの小間木がびっしり入っているという。投げ入れた瞬間に小間木は飛散し、麻の袋は泥にまみれてズタズタになるという。その切れ端を大切に神棚に上げ、お守りにしている家が多いという。

  この蘇民袋を奪った方に五穀豊穣(ほうじょう)の福運が授かるという。
  蘇民祭は闇と火と裸と祈りの祭典だ。そして太古に生きる荒々しい男たちの素朴で剛直な生命賛歌を今に見る思いがする。(北宴同人)


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