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ある本によると、老人の話相手になるには「ラジオ深夜便」などのキーワードが欠かせないのだそうだ。なるほどと、思わず笑ってしまう。では、団塊の世代の場合はどうか。ずばり、ビートルズだと言う。世代を超えたキーワードなのだそうだ。
ジョンレノン・ミュージアムがオープンしたとき、岩手からノコノコ見に出かけたが、確かにそこは、小学生から年配の人まで、あらゆる世代の人たちでいっぱいだった。ジョンレノンひとりでこれだけの人が集まるのだから、ビートルズならこの4倍になろうか。
共同通信配信のニュースによると、イギリス・リバプールの施設「ストロベリーフィールズ」がなくなるそうだ。ストロベリーフィールズなら、飲み屋や喫茶店の名前によくあるし、日本人の歌にまで借用されたりもしている。イチゴ畑がどうした、と言う人もいるだろうが、ビートルズファンなら、「ストロベリーフィールズって何?」と聞くような人は、おそらく世界にひとりもいないだろう。
ストロベリーフィールズは、ジョンが子供のころによく遊んだ、言ってみれば児童館のような場所の名前である。おばに預けられていたジョンは、両親に愛されて育ったという記憶を持たない。
ある日、離婚した両親が突然現れ、「お父さんとお母さんと、どっちと暮らしたい?」と二者択一を迫られる。「お父さん」と答えたジョン。行方不明同然だった父が帰って来たのだから、みんな一緒に暮らせればいい、とジョンは思ったのだった。
ショックを受けた母がその場から走り去ったとき、幼いジョンはたまらず「お母さーん!」と叫んで後を追ったのだと言う。
彼が16歳のとき、母は交通事故で他界する。『マザー』という歌があり、ジョンはその中で「お父さん!お母さん!」と悲痛な叫びをあげている。これは歌ではないと言う人がいるほど、心の傷がむき出しなのだ。
地方都市リバプール出身のビートルズが、世界へとはばたいて行ったとき、地元のファンは、ビートルズはふるさとを捨ててもう帰って来ないと感じた。愛する人に見捨てられたような悲しみを、多くのファンは感じた。
ジョンが歌う『ストロベリーフィールズ フォーエバー』は、「生まれ育ったふるさとを決して忘れてはいないよ」というメッセージだった。一方、ポールマッカートニーも、リバプールに実在する『ペニーレイン』を歌にし、永遠のものとして残した。
1969年の冬のさなか(1月30日)、ビートルズはアップルスタジオの屋上に機材を運び込み、寒風の中ビートルズとしての最後のライブ演奏をする。4大Bと呼ばれるバッハ、ベートーベン、ブラームス、そしてビートルズ。ビートルズもまた先人にならい、4人のうち2人までが、足早に時代を駆け抜けて行った。
(盛岡市本宮)
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