2005年 2月 8日 (火)        

■  〈五線譜の向こうに〉56 林芳輝 過酷な運命をたどったテルミン

 1月31日の深夜、というより2月1日の午前1時、テレビBS2でTheremin(日本語訳テルミン)というシンセサイザーの元になった音響装置についてのドキメンタリーを放映していた。

  この装置はラジオのノイズからヒントを得たもので、後に弦も鍵盤も無い真空管による電子楽器として改良(1920年)され、発明者自身(物理工学者レオンLeon・通称レフ・テルミン博士、1896年生まれ)の名を取ってテルミンと名付けられた(1920年)。この発明にレーニンが興味を示し、クレムリン宮殿にテルミンを招いたという。

  20年ほど前、この楽器の演奏が放映されたが、感銘を受けなかった記憶がある。平成12年にもアメリカの演奏家が来日したらしい。

  楽器テルミンはフランスの鍵盤楽器・オンドマルティーノの音に似ているが、和音は不可で単音のみ。チェロの中音からヴァイオリンの高音の音色を出す。レオン・テルミンは楽器普及のためヨーロッパ諸国を回り、ニューヨークに楽器製造の拠点を移した。

  アメリカで楽器テルミンの普及に努め、その功績があったのはヴァイオリニスト、クララ・ロックモァであるらしい。

  彼女は「体型的にヴァイオリン向きではないから大物にはなれない」と医者に宣告され、もんもんとしてるところに弦楽器に似た音色を出す楽器テルミンに出合い、テルミン演奏家に転向したという(ロックモァのバッハの演奏はヴァイオリンを聴いている気分!)。

  映画音楽の中にもテルミンは使われたが幽霊や宇宙人が現れる場面にヒューンとかヒュルルーンとか効果音にしか使われていなかった現状に、ロックモァの音程の正確さと表現の美しさにアメリカ社交界は魅了されたらしい。

  アメリカで家庭を築いて事業も順調だったテルミン博士に1938年、突然の不幸が襲う。日中、家族団らんの最中に4人のロシア人に家族の目前で拉致され、20年間消息不明になった。

  当時スターリン政権下にあったソビエトで処刑されたとドイツの新聞が書きたてた。真実はスターリンがテルミン博士の技術を使って盗聴装置製作を考えたのが事件の発端である。

  博士は極寒の地で5年の強制労働につかされ、後に、モスクワ音楽院の付属音響研究所に配置され、盗聴器具の製作を命ぜられる。博士が解放されてアメリカに戻ったのは、共産党政権崩壊後である。
  純粋音楽の管弦楽には不向きで過酷な運命をたどった楽器テルミン、世界中に愛好者は意外に多い。この岩手にも愛好者グループが存在することが筆者にはオドロキである。
  1993年テルミン博士モスクワで没・享年97歳。


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