毛越寺南大門近くの田の畔に牝の駄馬が放尿していた。それを終えると、農夫が連れ去った。周囲は全山から一斉に明るい若葉の緑が噴出していた。小川には溜息の出るほど、鮮やかな緑の水が流れている。
義経の乗った馬が現れた。馬は鼻をひくつかせて、放尿の跡に近寄ってきた。立ちどまって臭いをかぎ始めた。それから、その跡に放尿の飛沫を浴びせた。馬の様子がどうもおかしい。そう思った義経は、歩くように馬を促した。その瞬間、馬は頭を斜め上にもたげ、上唇をあげた。歯をむき出しにすると、下唇をわなわなと動かす。と見る間に、牝馬の去った方向に走ろうとした。
義経は「ドウドウ」と荒々しく声を発した。手綱を引きしめて制止しようとする。馬は耳をそらして眼をぎらぎらさせている。鼻息を荒げると、怒り狂ったようにタテガミを振り乱した。鼻の穴をふくらませ、鼻面を「ブルブル」と大きく動かす。そうして「ヒヒーン」とかん高くいなないた。耳をばたつかせると、首を強く左右に振り、急に頭を下げた。不意をつかれた義経は、思わず手綱を放した。
馬は全速力で走り出した。あおりをくった義経は、馬上から田の畔に投げ落とされた。田植えをしていた村人は、どっと笑った。義経にとって地獄へ突き落とされたも同然であった。自分が情けなく、悔しくて仕方がなかった。その足で藤原秀衡に会った義経は、自分を馬や調教師の豊富な地へ斡旋して欲しい旨、懇願した。
赤沢入りした義経は、蓮華寺に逗留することになった。蓮華寺は白山神社の付属寺で、砂金や鷹羽等の収納拠点でもあった。寺は白山神社から辰巳の方角、二町ほどの距離に位置している。そこは山頂部の削平地にある。
北は隣の山と谷で接し、南は断崖で赤沢川の流れに臨んでいる。尾根続きとなる東側は傾斜のある山林で、西側は険阻な山路である。二重の堀をほり、逆茂木を並べていた。寺は軍事施設でもあった。難攻不落の要塞の趣きが強い。南北に木戸が設けられており、南側が搦手(背面)、北側が大手(正門)であった。
峠牧場で生まれた子馬が義経にあてがわれた。当時、関東や関西の馬は南方系統の四川馬で、平均体高は四尺二寸から三寸に過ぎなかった。峠の馬の体高は四尺五寸から八寸もあった。義経の馬には、輝く黒色にトビ色のまだら模様が入っている。その眼は黒々とし、タテガミと尻尾がふさふさしている。義経は、この馬に「ブチ」と名づけることにした。
ある日、ブチが厩屋でタテガミを乱し、尾を激しく振っている。調べてみると、左前脚をひきずっている。義経はブチの左足首を握り、馬体を支えて足裏を見ようとした。凹みにたまっている泥を、持参していたカモシカの角でかき出した。すると、さびた鉄釘が突き刺さっているではないか。ズキズキしているに相違ない。当時は、馬の蹄を保護する蹄鉄はなかった。義経が鉄釘を抜き取ると、黄色のウミがどっと流れ出て辺りに悪臭を放った。傷が化膿していたのである。
「ブチ、さぞ、痛かったであろう」
義経はブチの首筋をポンポンと叩いた。ブチは耳を垂れ、眼を細めて、首をゆっくりと上下に振った。義経はさました煮大豆をクズの葉にまぜて与えた。
義経はヨモギを芯にして藁で包んだ長物に火をつけた。それを竹竿の先に吊して厩屋に入れた。蚊よけを用意されたブチは熟睡の境に入った。
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