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B〜くなんしぇ、くなはりあんせ
かつては、人の家を訪れるとき、玄関先で「ごめんくなんしぇ」「ごめんくなはりあんせ」などと言いました。「〜ください」の盛岡なまりですが、この「〜くなんしぇ」「〜くなはりあんせ」は、人に物を頼むとき、なくてはならぬ大切な言葉です。
窓を開けてほしいと頼むとき、「まどあげろ」とか「まど、あげで」などと言える相手はめったにいないはずです。目上の人や客などに対しては「まどあげでくなんしぇ」とか「まどあげてくなはりあんせ」と言ったら、相手も命令されたなどと思わず、気持ちよく開けてくれるでしょう。
Cおでんす、おひなる、およる
「おじいさんは、おひなっておでんすたすか(お目覚めでいらっしゃいますか)」
「おじいさんは、およって、おでったよ(お休みでいらっしゃいます)」
「あーそーすか。まだ、およっておでるんだば、よござんす(けっこうです)。おひなったら(お目覚めになられたら)わだしがまいりましたって、そわっておぐれって、くなんせー(おっしゃってください)」
「おひなる」はお目覚めになる、その反対語が「およる」で、お休みになる、という意味です。おそらく近江商人の子孫たちが伝えた言葉で、盛岡の人たちにやさしく、奥ゆかしい言葉として強く印象づけられ、そのために代表的な盛岡弁として扱われるようになったものではないかと思われます。
仙台地方に伝わる子守歌にも「およっておぎだら(眠って起きたら)なにあげべ(何をあげよう)あんづきままに、とと(魚)そえて…」という歌詞があるそうです。こんなところにも「およる」が生きているとは、面白いことです。
「おでんす」は「おいでになります」の縮約した形で、いらっしゃる(「行く」「来る」「居る」の尊敬語)という意味、「そわる」は「そう」の尊敬語で「おっしゃる」、「おくれって」は「おくれになって」ということで「そわって、おぐれって」とは、今でいえば二重敬語の、わずらわしいくらい丁寧な言葉です。
話すテンポもずいぶんゆっっくりして、極端にいえば歌うように、のどかなリズムをもって語っていました。
時間に追われるあわただしい生活を余儀なくされて生活している現代人は、話すスピードも速くなり、歌までもしゃべるように速くなっています。スピードについていけないわたしなどは、もはや老人の仲間入りか、と思うこともあります。
D〜おんす
「あいやー、おばはん、あし(脚)なんじょにみさんしたえー(どうなさったですか)」
「なーになす、おはがで(お墓で)ころびあんしたおんす(転びましたのよ)。だっても、とおらながんすだもの(通らないんですもの)、そのままになってあんしたのす。しばらぐして、やっとたすけでもれぇあんすたのす」
この会話でわかるように「おばさん」が「おばはん」と関西風に発音されることがあります。ただし、これは「おめはん」に比べて一般的ではありません。
「〜おんす」は共通語の「〜のです」にあたる言葉で、女性がよく使うやわらかい、やさしい言葉です。「〜のです」が、「いぎあんしたのす」「そったのす」のように「〜のす」となり、さらに「〜おんす」「〜おんや」に変化していきました。
ただ「そった(言った)」というとぶっきらぼうですから、「そったのす」とか「そったおんす」「そったおんや」などと言うのです。
「してあんすた」の「〜あんすた」は「〜ました」にあたる言葉で、やさしく、時に少し甘えた感じを与えます。
男性は「してやんすた」などと言ったりしますが、これは少し俗っぽく、崩れた感じです。いずれにせよ、日本語の会話文の文末表現は、微妙にしてかつ、重要な役割を果たしていることがおわかりいただけるかと思います。
言葉は、意味が通じればいいのではなく、やさしい心、思いを伝えるもの、そしていい人間関係をはぐくむものでもあります。民主主義の世の中で、確かに人間は平等な存在かもしれませんが、男性の言葉と女性の言葉は日本語において、大きく異なります。
また、相手構わずの話し方は、失礼でもあり、相手に不快感を与えます。敬語のもつ役割、その上品な、ゆとりあるやさしさを今一度思い返してみたいものです。古い盛岡弁は、そのようなことをあらためて考えさせてくれます。(岩手医大教養部教授)
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