2005年 3月 3日 (木)        

■  〈いわての鉄道ものがたり〉81 「岩崎へ経営移譲」

 官地拝借願いが明治23年11月21日に許可がおり、井上と県との間に3622町歩余の地所貸借契約が結ばれ、その上で明治24年1月、井上と出資を約束していた岩崎弥之助との間の契約が交わされた。井上は農場の経営を担当し、土地その他の不動産は一切井上の名義としておくこととし、ただし事業の損益は折半とする、とした、すこぶる簡明な紳士契約であった。

  小岩井農場の開発に着眼し、夢を開いた井上勝という人物は、ロンドン大学留学時にも現地の下宿のおばさんなどの信頼も厚く、英語が達者で、日本に帰国しても鉄道技術者としての技量に優れ、かつ人望の厚い人であった。政治には手を出さなかったので官職としての知名度は高くはならなかったが、人物・能力に優れた逸材であった。伊藤博文、大隈重信、井上馨らとの交流が深く、それ以上の人物であったともいわれている。

  小岩井農場の位置は、北緯39度31〜53分。標高約200メートル余りからなだらかに岩手山に向かって高みを加え北ろくの標高は620メートル。秀峰岩手山のふもとに広がるわが国最大の民間農場である。

  ■小岩井農場の経営、井上勝から岩崎久弥に移譲
  明治31年12月、小岩井農場の経営が井上勝から岩崎久弥に委譲された。井上勝鉄道局長官が東北本線工事視察のため盛岡入りし、網張温泉に向かったのが明治21年6月12日〜13日のことであった。

  真冬の鉄道工事が休眠の明治22年12月に測量を開始し官有原野払い下げ願、明治24年、57町歩の開墾に着手、防風林の造成開始、小岩井農場創業。明治26年、牛の生産開始、飼料作物の栽培開始。明治27年、作物中心から畜牛主体に変更、イギリスからスチーム・プラウを購入、牛の売却開始。

  この間に、小岩井農場雇農夫心得書を制定し、明治32年1月、岩崎久弥、小岩井農場の場主となり、下総御料牧場幹部に運営を委託し、藤波言忠を監督とし、農場長に新山壮輔が就任した。この年6月から牛乳の市販を開始した。

  明治32年、下総御料牧場からホルスタイン種牡牛の払い下げを受け、岩崎家管理の牝牡牛約30頭を農場に移管した。明治33年3月、バターの試作に成功。明治35年から5カ年を一期とする15カ年の長期事業計画を策定して、水田開墾、綿羊飼育、樹林事業、造林、種馬、学校、馬車鉄道、養鶏、七面鳥、日本ダービーほか三冠馬サラブレット飼育、木炭製造、観光などの事業を拡大・熟成させ、明治37年8月には、掛から呼称を変え、事務部、育牛部、育馬部、耕耘部、樹林部、育羊部の6部制を敷いて、農場の体制を整えている。(大内豊)


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