2005年 3月 5日 (土)        

■  〈いわて鉄道ものがたり〉82 農場内に馬車鉄道が開通

 ■小岩井農場と井上勝

  小岩井農場は、明治24年(1891)に開設されたが、鉄道頭、井上勝が岩手山のすそ野に広がる原野に農場をつくり、斯業の発展に寄与せんとの意図のもと、岩崎弥之助・小野義真の両氏に諮り、原野の開墾にくわを入れたのが創業の原点である。その後、明治32年から、井上勝氏の後を受けた岩崎久弥氏が場主となり農場を継続、その充実を目指して幾多の努力を重ねた。

  その歴史や経過については「小岩井農場100年史」などに詳細に記述されているが、小岩井農場の大きな「夢」を築いたのが井上勝氏であり、今日の農場の繁栄の基礎を築いたのが岩崎久弥氏であるといえるのではなかろうか。

  小岩井農場が開かれた明治20年代、日本全国には200−300の民間の農牧場があったといわれている。これは、明治新政府がとった殖産農業政策のうち、農業についての勧農政策に深い関係があるといわれる。当時、いわばヨーロッパ風の新しい「農場」「牧場」としての概念が入ってきたが、それまで日本にはそのような概念はなく、「田地田畑」という旧来の考えがあった。

  この年11月、私立小岩井尋常小学校を農場内に開設し、校長は農場長の兼任とし、農場の幹部も教べんをとった。その年の12月には、農場内に馬車鉄道が開通した。その後、外部からも教員を採用したが、経営コンサルタントの宮健氏はそこの小学校の卒業生である。宮氏の父親も多年にわたって農場内の小学校の教員・校長を勤め、宮氏は馬車鉄道を利用して小岩井駅を経て盛岡中学に通学したと言っている。

  小岩井農場資料館館長を勤められた岡澤敏男氏は、現在本紙に「オークランドの旅人」を執筆しているが、小岩井農場の歴史などに精通しておられる。馬車鉄道が小岩井駅まで延長したのは、大正12年12月。小岩井農場幹部の子弟の中には、英才教育のためか、盛岡の桜城小学校や仁王小、城南小に通わせる家庭もあって、馬車鉄道、橋場線(大正10年6月開通)鉄道を利用し通学した。小岩井農場の馬車鉄道には特別あつらえの台車に天皇陛下もご乗車になられたことを話している。昭和22年8月の行幸の折だったろうか。馬車鉄道の路線は、本部前から小学校、製材所付近を経て現在の道路の付近を小岩井駅、現在の小岩井郵便局付近までであったと思われるが、小岩井の駅前には大きな倉庫もあって、物品輸送、木材の輸送のほかに、用務客の利用も認めていたものであろう。小岩井駅の西を曲がって小岩井農場本部の方への近道もあった。雪祭りが最初に開かれたころは小岩井駅から歩いて会場まで行ったものであった。岩手山登山は、小岩井駅から小岩井農場、相野沢牧場を通り抜け網張温泉に泊まり、翌日登って柳沢口か松川方面に下りるコースが多かった。創業当初から、小岩井農場で使用する農機具は近代的な洋式の物が多く、修理などは国鉄盛岡工場でも行っていたといわれている。(大内豊)



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